おはるのブログ

自分と向き合うためのブログです。

行動力より大事なもの。

 

「志や目標を、どう行動に移していきたいか」

 

こんな問いかけが山口研修の

オープニングセレモニーに向かうバスの中であった。

 

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「志」「目標」

あれ、わたしの志ってなんだろう。

目標ってなんだろう。

 

自分の中で明確な答えが出せなかった。

 

同時に、「志」と「目標」がはっきりして、

はじめて

信念のある「行動力」として現れるのではないか、

と思った。

 

そうか、なるほど。

なんだか妙に納得した。

 

これまでは、

好奇心の赴くままにいろんなこと手をつけて

楽しくやってきたけど、

 

自分の色が薄まっているような感覚は、

この「志」と「目標」が原因だったのか、

と感じた。

 

「自分の内側からの声を大切にしたい」

 

これは、前にも投稿していたけれど、

その内側からの声を洗練させていくと

それが強固な「志」と「目標」になるのかな、と思った。

 

明確な「志」と「目標」があれば、

 

「行動力」に悩むことはない。

 

「志」と「目標」は、

自分自身に向き合って出た結果であり、

それ自体が自分の生きる意味のようなもの。

 

だから、それさえ定めることができれば

きっと自分自身の行動に自信が持てて、

人生もより豊かになると思う。

 

大学三年生になって、

就活の情報がたくさん入ってくるようになった。

 

最近は目を通すようにもなったけれど、

いまいちぴんとこない。

 

そして、

一昔前までよく感じていた「焦り」が

でてきているようにも感じた。

 

追われるような感覚。

 

でも、就活も同じで、

自分の軸が定まらないまま進めていっても、

「自分」という人間が薄まる気がする。

 

周りに目が行ってしまって、

信念を持った「行動」が

できなくなってしまうのかな、とか。

 

 だから、

今、自分が持っているもので

価値を高める。

 

集中すること。

 

自分の中でなにを大切にしたいか優先順位を決めて、

それに向かって努力する。

 

それを意識したいと思った。

 

そうすると、

そこから道が開けていくのかな、とも思う。

 

「なにもかも」から

「これ」と「これ」と定めることで、

 

それと自分に向き合える時間が増えて、

 

方向性も定まっていくのかな、って思う。

 

きっとそういうのって、

他でも応用が利くのかな、とか。

 

これは自分が思っていることだから

本当かどうかはわからない。

 

だけど、私はそれを信じたいな。

 

これもいいかな、あれもいいかな、と

いろんなもの見て悩んじゃうより、

 

「わたしはこういう生き方をしたい」

と一本決めて、

 

だから「この学びが必要」「この行動が必要」

 

って定めていったほうが、

 

自分の行動にひとつひとつ意味を付けることができ、

その行動自体に誇りを持つことができるんじゃないかな、って。

 

そしてそれが自分自身の納得した生き方に繋がる。

 

これこそ、山口県萩市でみた

明治維新の革命児を育てた

松下村塾での吉田松陰の教育だと思う。

 

 

「どう生きたいか」「人としてどうありたいか」

を常に問いて、それを大事にした吉田松陰の教育を、

 

自分自身でも実践してみようと思う。

 

それが高い「志」と「目標」

そして「行動力」に繋がる。

 

 

情報は「情報」として入れていく。

けれども、それをどう「処理」するかは、

自分自身なんだ。

分析はする。

 

こうやって

自分自身と葛藤しながら

自分自身の生き方を見つけていけたらいいな。

 

行動力より大切なもの。

それは、自分自身の想いを持つこと。

それができたらきっと

「行動しよう」と認識する前に

「行動」として表れるのかなって思う。

 

 

まだまだひよっこだなああああああ。

 

何年後かにこのブログを読み返したとき

「こんな時期があったなあ。がんばってたなあ。」

と思わず、

くすっと笑って胸が温かくなるくらいになれたらいいなあ。笑

 

さあ、がんばってみよう。

 

おはる

 

萩を振り返る。

 

山口・萩での研修を終えて、

東京に帰ってきた。

 

萩の城下町や武家屋敷の土壁から見える夏みかんの風景は

まるで明治、江戸時代にタイムスリップした感覚だった。

 

けれども、そこには日常の生活もあって

歴史と現代がうまく調和している。

 

京都とはまた違う情緒を感じるまち。

 

萩の住民と観光客のバランスが絶妙な感じがした。

 

東京に帰り、萩を振り返ると、

城下町と夏みかんとそして、

小学生が元気にあいさつしてくれた姿が浮かんでくる。

 

いいまちだったなあ、

とじんわり味わえるこの感覚がとても心地よい。

 

 

さて、今回の山口研修。

 

コンテンツが盛りだくさんで、体力的にも大変だったけれど、

とってもよい時間をすごせたと思う。

密度の濃い充実した日々だった。

 

密度の濃い充実した日々をすごしたことは

「事実」であるけれど、

それを「事実」としてだけあるのではなく、

なにか事実から自分のものにしたい。

 

だからこそ、今回も振り返りの時間をとりたい。

 

研修中で特に意識していたことは、

「自分と向き合う」こと。

 

周りの参加者は、高学歴の方ばかり。

そして、討論も何度もやってきているような方々。

東大生や慶応生に囲まれて、

自分は同じ土俵には立てないんだろうな、と思っていた。

 

だからこそ、その「すごい人」たちの中でも

圧倒されずに自分を見失わないようにすること。

 

それを意識していた。

 

これまでの自分は、そんな「すごい人」に出会うと

単純に自分と比べてできない自分に落ちこみ、

結果、自分を追い詰めていた。

 

そうやって、「すごい人」に出会って、

向上心をもつことも大切だけれども、

 

それが、できないことばかりに視点がいくことにつながり

今自分が持っている強み、だったり、

自分らしさを認めてあげられなくなったりもしていた。

 

それをわかっていたからこそ、

今回は「自分と向き合う」ことをとにかく意識した。

 

そのために、わたしはその「すごい人」たちの中で、

私は「なにを感じているか」「なにを考えたか」を

大切にするように意識した。

 

けれども、慣れない討論の中では、

討論の話を理解し、ついていくことでいっぱいいっぱい。

 

「自分と向き合う」より前に、

まずは「理解すること」で精一杯だった。

 

理解するために意識したことは、

確認作業を怠らないよにすること。

 

「こういうことであっていますか?」

 

言い換えができなくても、

同じことを繰り返して言葉にしてみる。

 

そうするとなにかしらの言葉が返ってくる。

その言葉を深堀することができる。

 

たとえ、意見を出すことはできなくても

討論に「参加」できている状態になる。

 

そうやって討論に「参加」できることで、

討論の内容がわかるようになる。

 

そうすることで、

それに対して「自分はどう思うか?」

と問いかけることができる。

 

これは、その場でできたら一番よいが、

討論が終わったあとに

自分に問いかけることができるのがよい点だと思う。

 

 

今回、討論への参加の仕方や心構えを学ぶことができたことは、

大きな収穫だったと思う。

 

討論は、自分の見落としがちな視点に気づかされる。

そしてなによりも

自分の思いや、なにを大切にしているかがだんだんと見えてくる。

それが面白い。

 

討論を通して、自分の考えが洗練されていく感覚。

 

今回、討論をしてみて感じたことは、

日ごろから自分の考えを自分自身が理解しておくことの大切さ。

 

討論を終えてから、

「そういえばわたしこんなこと考えていたな」とか

「こんな経験していたな」とか、

発言できそうなことがあったことに気がつく。

 

それは、討論を「理解」しようと努力して、

それをあとから「自分に向き合う」ことによって

気づけたことだと思うから、

そのこと自体はいいことだと思うけれど、

 

でも、やっぱり討論で意見を言えたら、

それに対しての意見ももらうことができる。

そうすると、自分はその意見に対してどう思うか、と

再び自分と向き合うことができる。

 

その次のステップが見えてくる。

自分の意見が洗練される。

 

日ごろから自分の考えていることを

理解することが大切だと実感した。

 

これこそ「自分と向き合う」ことなんだな、って。

 

書くのは簡単だけど、

実際にやろうとすると難しい。

 

自分を一番わかっているのは自分のはずなのに、

意外とわかっていないこともわかってきた。

 

自分と向き合うって、難しい。

 

けれども、ひとつ言えることは、

今回「自分と向き合う」ことを意識していたおかげか、

すごい人たちに圧倒され、そして、落ち込むことはなかった。

冷静に自分を分析できのかな、と思う。

 

これってすごいことかもしれない。

少しだけかもしれないけれど、進歩したのかな。

 

「自分と向き合う」

 

自分が難しいと感じてることに

向き合おうとしている自分にエールを送ろう。

 

最後まで読んでくださった方、

ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぶらり旅・萩②

ゲストハウス内での会話から。

 

昨日の夜と朝の限られた時間だったけれど、

ゲストハウスならではの交流を楽しみむことができました。

 

お話ししたのは、

フランス人の同い年のガールとボーイ。

福岡の大学に通っているらしく、

英語と日本語を学んでいるそうです。

 

日本語での会話もできて、びっくり!

英語はネイティブレベルで、

同い年なのにこんなに語学に堪能で

すごいな、と感心してしまいました。

島国に甘んじてはいけないなあ、と思いました。

 

でも英語でも話したら、「英語上手だよ!」

と褒めてくれたので、このまま頑張ろうと思います。

 

こんな仕組みがあったのか!新たな発見が。 

 

会話の中で、交通費が高いと言っていました。

 

ですが、ここで

JRの7日間乗り放題の切符を見せてくれたんです。

交通費高いけれど、これを使うと

比較的お得に行けるんだ、と。

 

初めてみたもので、こんなものがあるのか、

くらいの印象で会話は終わってしまったのですが、

 

あとから調べてみると、

それは日本は訪日外国人向けに行っている

お得なサービスであることを知りました。

 

これは、訪日外国人向けのサービスなので、

日本人が利用できないのが残念ですが、、、

JAPAN RAIL PASS | ジャパン・レール・パス

 

なので、こんな問題もあるみたいです。

現状の鉄道周遊券は、訪日観光客に甘すぎる | 観光ビジネスのリアル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

しかし、朗報も。

 

東日本&北海道でも同じような取り組みを

今年から開始していたことが発覚。

これは日本人も使えます!!!

travel.watch.impress.co.jp

 

とっても魅力的。

これを使って東北と北海道に行ってみたいな、と思いました。

 

気仙沼にも行ける!

ですが、7日間はわたしにとってはちょっと短くも感じます、、、

(わがままですが)

 

ちょっとした会話の中から、

新たな発見があり、うれしくなりました。

 

振り返る癖を付けることで、

気づきも多くなるので、続けていこうと思います。

 

次も私にとってはなかなか興味深い話。

 

日本人が気づかない魅力に気づく、外国人?

 

日本に1年8カ月住んでいるアメリカ人の女性とお話ししました。

 

日本の食事はなんでも好きと言っていました。

そして、住んでいる地は、広島。

 

広島の中でも、

スーパーカントリーサイド」

に住んでいると言っていました。

(超田舎)

 

 田舎が好きだそうで。

自然も豊かだし、食べ物もおいしいし。

 

そして、都会のようにお金もかからない、と。

 

外国人の方に、日本の田舎が好き、と言われて、

なんだかとっても嬉しくなってしまいました。

 

そういった日本人が気づかない魅力に、

日本以外の国の方がその魅力に気づいてくれる

そして、住んでいる、というのは、

本当に嬉しいことだと思います。

 

そういった方々を

日本は大切にしていけたらいいな、と思いました。

 

東京は怖い?

話が少し派生しますが、

田舎の話と関連させて。

 

先ほどの留学生も話していたことですが、

「東京はなんだか怖い」と。

 

人も多いし、忙しいイメージがあるからかな。

言語の壁をより感じてしまうそうです。

(もちろん、九州から遠いという理由もあると言っていましたが) 

 

東京は、英語対応など頑張っているけれども、

それでも壁を感じてしまうのは、

やはり「人」なのかな、と思いました。

(これは完全におはるの推測です)

 

実際に、東京に行ったことのない人の話なので、

イメージ上での話になりますが、

 

東京に対して怖いイメージを持ってしまうのは、

余裕のない人を想像してしまうからなのかな、

と私なりには考えます。

 

それよりかは、田舎のようなのんびりした地域のほうが、

たとえ英語表記や英語対応が不十分であったとしても、

 

その「伝わらない間」のコミュニケーションを

楽しむことができるのかな、と思いました。

 

たとえ、完璧な英語表記や英語対応でなくても

それすらを日本での醍醐味にしてしまう力が、

もしかしたら地方にはあるのかも、と感じました。

 

そんな朝の会話から、

地方の可能性についても考えてしまうおはるでした。

 

次は、今日訪ねた浜崎についても書きたいです。

 

 

 

 

ぶらり旅・萩①

今回の目的地は、山口県萩市

 

昨日の夜19:30のバスに乗り、

約14時間揺られてようやく到着しました。

遠かったけど、

意外とそこまで疲れなかったから

よかった!

 

さて、ぶらり旅・萩をタイトルにしたけれども

ぶらり旅が目的なわけではありません。

 

一番の目的は、

「大学生国際会議」に参加するためです。

山口県は2018年に明治元年から150周年を迎えます。

明治維新胎動の地である山口県に国内外の大学生が集い、

幕末・明治期における先人たちの「志」や「行動力」に

思いを馳せながら、現代の山口県や日本、

そして世界が抱える課題について、

グローバルな視点から討議を行い交流を深めていくものです。

 

こうやって説明すると、すごく難しそう、、、。

 

そうなんです。

自分もかなりどきどきしています。

 

日本のことを知りたい、

教養をつけたいと思って、

参加することを決めた今回の山口会議。

 

やるしかない、と思いつつも、

緊張している自分がいることは事実。

 

ですが、そんな自分と向き合いながら、

自分らしく頑張りたいと思います。

 

自分らしく、ということで

好奇心旺盛なのと、

緊張を緩和させるために

一足はやく現地入りをすることにしました。

 

萩で自分の時間を持つことで、

心が落ち着くかな、と思い、、、。

 

という理由で、

タイトルを「ぶらり旅・萩」にしました。

 

さて、備忘録も兼ねて、昨日一日を振り返りたいと思います。

 

萩には、10時すぎごろ到着。

 

まずは、二泊三日お世話になる萩ゲストハウスrucoへ。

こちらのゲストハウスもこれまた素敵なので、

改めて紹介したいな、と思っています。

5月1日山口上陸!!!

そこで荷物を置かせていただき、そのまま萩城下町へ。

 

萩城下町は、明治日本の産業革命遺産と言われており、

世界遺産に登録されています。

 

江戸時代の面影が残り、

当時の古地図がそのまま使えるとも言われている地です。

 

日本の産業化が急速に進んだ地でもあります。

 

そんな城下町を歩きました。

空気に木のにおいや土の香りが入り混じっていて、心地よかったです。

呼吸も、歩くペースもゆっくりになっているのがわかりました。

 

ちょうどお昼の時間帯で、お店を探しているときに見つけたのが、

Kimono Style Cafeです。

 

かつて、毛利藩士が過ごしたとも言われる

築120年を超える古民家をリノベーションして作られたカフェです。

 

すべてのメニューを萩焼で提供しているとのことで

興味深かったので入ってみることにしました。

 

萩焼は、朝鮮出兵の折に毛利輝元が招いた陶工が、

毛利家の御用窯として萩市に開いたことが始まりと言われています。

約400年もの歴史を持っています。

お茶の世界でも高く評価されており、

やわらかくふわっとした質感が特徴です。

 

そんな萩焼と共にいただいたランチ。

「長州そば」

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 一緒に萩珈琲いただきました。

 

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 珈琲はマイルドであっさり目な気がしました。

ブラックで飲むのが一番よさそうです。

 

お店の雰囲気もとてもよかったです。

 

着物のレンタルもしています。

街を着物で歩けたらより一層雰囲気を堪能できそうです。

 

次回は、着物で街を歩きたいなあ~と思いながら、

お店をでました。

 

目の前には、木戸孝允旧宅も。

木戸孝允は、桂小太郎の名でも知られてる、

長州藩を率いた人物として有名。

松下村塾の塾生でもあります。

吉田松陰も才能を認めるほどの人物らしいです。

 

松下村塾の教育は、

今回の会議の討論のテーマでもあるので、

もう一度復習しておこうと思います。

 

またぶらり歩いていると、

高杉晋作にもご対面。

高杉晋作長州藩尊王攘夷藩士として活躍した人物。

吉田松陰率いる松下村塾の塾生。

 

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高杉晋作は、名言や格言を数多く残していて、

なかなか興味深いです。

 

ひとつだけ紹介。

真の楽しみは

苦しみの中にこそある。

 

大変なことがあるからこそ、

喜びや楽しさを味わえるのかな、と感じました。

 

という格言を見ると、

自分はまだまだなあ、と感じます。。。

 

 

 通りがかりのお店で長州地サイダーをゲット。

パッケージがかわいい。

山口県産の夏みかんを使用したサイダー!

さわやかな風味で美味しかったです^^

 

そのあとは、温泉に入りたいと思い、

何件か回ったけれどもGWは日帰りやっていないところと

そもそもお店がやっていないところとがあって、

結局入れず、、、熱海に引き続き、日帰り温泉運がないようです。笑

 

歩き回って、いい運動にはなったかと思いますが。笑

 

ちょっと一休みしたくなったので、

ゲストハウスの方にお勧めしていただいた

パトラカフェへ。

 

オーナーさんはUターンをして、カフェを開いたそうです。

 温かみのある素敵な空間。

長居したくなってしまいます。

 

そこでは、ゆずきちジンジャーをいただきました。

hotでいただいたので、心も体もぽかぽか!

活力が生まれました!!!

素敵な空間です。

 

一通り城下町を歩いたので、

ゲストハウスへ帰り、

その後はゆったりまったり過ごしました。

 

ゲストハウスの半分くらいは外国人?ってくらい

インターナショナルな空間で楽しかったです。

 

長くなってしまいそうなのでいったんここで閉めます!笑

今日は浜崎のほうに行ってみようと思っています。

のんびりまったりの旅は

いろんなことを感じようとするので普段より感性が研ぎ澄まされる気がします。

 

今日も一日いい日になりますように★

 

 

人の温かさ、とは。

 

 

先週の土曜日、

気仙沼での体験談をお話する機会をいただきました。

 

テーマは、「人の温かさ、とは」

 

自分の経験を人前で話すことは、

今回が初めてだったのでとても緊張しましたが

振り返る機会や自分の経験を話せることはなかなかないことなので、

とてもよい機会となりました。

 

人の温かさ。

 

私自身が気仙沼で触れた人の温かさをお話することも考えましたが、

それはやめておくことにしました。

 

私が感じる人の温かさと、

聞き手の感じる温かさは

必ずしも同じとは限らないと思ったからです。

 

 

そのため、今回は

「なぜ、私は気仙沼で温かさを感じたのか」

についてお話することに決めました。

 

さて、ここからは

なぜ私は気仙沼で温かさを感じたのか書いていきたいと思います。

 

気仙沼で味わったことを振り返って、

自分の中には2つの理由があることに気づきました。

 

これは、気仙沼の滞在中に感じたことだけでなく、

帰ってきて改めて思い返すことで気づいたことや、

指摘されたことから考えたことを気仙沼と重ねて気づいたことなどを

今までの私の経験をまとめて書き記していきたいと思っています。

 

温かさを感じた二つの理由。 

 

1つ目は、「豊かな自然」があること。

もう1つ目は、「自分の幸せを持っている人々」がいること。

 

この2つが、「温かさ」を生み出していると思っています。

 

 「豊かな自然」

 

気仙沼に行った際、とても落ち着く自分がいることに気がつきました。

呼吸がゆっくり深くなり、心にゆとりが生まれる感覚を味わいました。

 

波の音を聞きながら海を眺めているとき。

森の中で新鮮なおいしい空気を吸っているとき。

夜の冷たい空気の中で空いっぱいの星空を眺めているとき。

 

自分が抱えていることをいったんどこかに置いて、

その瞬間を大切に味わい、幸せを感じている自分がいました。

 

気仙沼を訪れるまでは、

あまり感じることのなかった、なんだかほっとする感覚。

自分を大切にしようとする感覚。

そして、自分の周りの人を大切にしたいと思う感覚。

 

今までは、なにかに追われているような自分がいて、

たしかに余裕がなかったなあ、と客観的に振り返ってみて思いました。

 

自分にないものを追い続けていた自分。

ないものに目がいきがちだった自分。

 

から、

 

気仙沼で、自然に身をおいているとき、

 

 今、自分にあるものに目を向け、

それを大切にしている自分。

 

になっていた気がします。

 

自分の心に余裕が生まれ、

自分や、周りの人やモノを大切にしたい、

そんな自分が現れて、

 

自分自身の心が温かくなるような気がしました。

 

「人の温かさ」を考えるとき、

気仙沼で人が温かい、と感じた根本は

これなのかな、と思いました。

 

もちろんこれだけではないですが、

 

豊かな自然に身をおくことで、

日常を大切にしようという気持ちを持っている人が

多いのではないか、と思いました。

 

だから、自分の周りの人へも温かく大切に

関わることができるのではないか、と思いました。

 

また、「温かい」と感じる側も心にゆとりができているからこそ、

「温かさ」を「温かさ」として受け取ることができるのかな、と思います。

 

きっと自分に余裕を持っていなかったら

気仙沼の温かさを十分に感じ取れなかったのかな、と思います。

 

 そんな、心の温かい人を育ててる気仙沼という地は、

とても素敵な場所だと思いました。

 

 

「自分の幸せを持っている人々」

 

気仙沼には、魅力的な人がたくさんいます。

 

なにが魅力的かというと、

自分のやっていることに誇りをもって、

いきいきした表情でそれを話してくれる人がいることです。

 

自分のやりたいことを大切に生きていて、

それをそれぞれがカタチにしています。

 

その中に大変なこともつらいこともあるのだろうけれども、

 

根本の「やりたい」があるからこそ、

それを乗り越えられ、そして、その苦悩こそも楽しさに変えている。

 

だから、ひとつひとつの言葉に力強さあり、

心に響きました。

 

自分のやりたいことを大切にしている、

つまり、自分の幸せを大切にしている人の心は

 

温かく、そして、その自分の幸せで

周りの人も幸せにしたい、と思う人が多いのではないか、と思います。

 

もしくは、その人自身はそう思っていなくても、

自分の幸せを噛みしめながら生きている人は、

 

気づかないうちに周りの人に勇気を与え、

「私もがんばろう」と前向きな気持ちに

させてしまっているのだと思います。

 

それが、きっと「温かい人だ」と感じてしまう理由なのだと思います。

 

それと、もうひとつ。

 

「自分のやりたいこと」

というのは自分ひとりでは絶対にできません。

 

助けてくれる人、応援してくれる人がいるからこそ、

自分の「やりたい」がカタチになっていきます。

 

そんな自分の「やりたい」を

大切に育ててくれる人がいる気仙沼、という地は、

とても温かいところだな、と思いました。

 

いろんな人に助けられ、応援されてこそ、

 

今の自分がいる。

 

それを実感している人が多いからこそ、

自分も「誰かのためになりたい」と思う人が

多いのだと思いました。

 

自分がしてもらったことを、

「やりたい」という気持ちを持っている、

ほかの誰かのためになりたい、と。

 

誰かからいただいた恩をほかの誰かに恩を送る、

という意味を持つ「恩送り」が

気仙沼では自然に行われているように感じました。

 

気仙沼に来たときに感じた温かさのもうひとつの理由は、

「恩」を大切にする文化が根付いているからだと思います。

 

温かさを感じた理由を2つにしていましたが、

もしかすると3つにわけたほうがいいのかもしれません。

 

豊かな自然があること。

自分の幸せを大切にする人々がいること。

 

そして

「恩」を大切にする文化があること。

 

これらが気仙沼で感じた「人の温かさ」の

理由だと思っています。

 

自分に置き換えてみると。

 

この温かさの理由を考えたことによって、

これを自分に置き換えて考えられるようになりました。

 

理由を探ることによって、

「どうしたら気仙沼で感じた温かさを日常で感じることができるのだろうか」

「そうしたら自分の周りの人にも温かいと感じるのだろうか」

 

と自分に問いかけられるようになり、

今、自分に必要なことはなんなのか、と

客観的に自分を見ることができるようになりました。

 

すると、普段の生活から改善できることがたくさんあることに気づきました。

 

すぐに変えられることもあれば、そうでないものあって、

意識を変えていくことは難しいと感じながらも、

少しずつ変わっていこうと励んでいます。

 

ひとつひとつの経験を大切にしていく。

 

気仙沼で感じた「恩」を、

気仙沼に返す「恩返し」だけでなく、

 

自分の周りの人にも気仙沼で受け取った「恩」を

感じ取ってもらえるような

 

「恩送り」ができる人になりたいな、と思っています。

 

「温かさ」を受け取ったときに感じた、

落ち着き、心地よさ、幸福感、日常を大切にしたい気持ち、

 

気仙沼から離れた場所でも

そうしたひとつひとつの気持ちを忘れずに、

 

毎日を大切に過ごして生きたいと思います。

 

 

 

 

2017.4.26

おはる

 

 

 

 

気づきの幅を広げること。

 

いつの間にか春休みも終わり、

3年生へ進級し、

誕生日を迎え21歳になった。

 

気づくと時間があっという間に過ぎていて、

充実しているんだなあ、と自分の周りに感謝する一方、

このままじゃだめだ、と感じている自分がいた。

 

 

今の私は、好奇心が外からきている。

与えられたことに対して好奇心を持ち、

行動している自分がいる。

 

それがだめなわけではない。

機会が与えられるのはとても嬉しいことだし、

できることが増えることも、とても楽しい。

 

 

けれどもその中で、

自分の中にあるものがぼんやりしていくのを感じていた。

 

外からの好奇心だから、当然意識も外向きだ。

 

経験を自分の言葉にしていくことや、

本を読んで考えること、

大切にしたい人との時間を大切にすること、等々

 

本当はやりたいことを、

目の前のことで精一杯になってしまっていたために、

後回しにしている自分がいた。

 

ある時、一杯一杯になってしまって、疲れている時期があった。

そして、気づくと次の日のインターンに「行きたくない」

という感情が沸き上がっていた。

 

今までいくら大変なことがあっても、

行きたくない」という感情で埋め尽くされることはなかった。

どうコントロールしていいのかわからなくなって、ある人に正直に相談した。

 

そのとき、

「周り感謝されることだけを考えて一日を過ごしてみな。」

という言葉が返ってきた。

 

自分の仕事に没頭するのではなく、他人のために自分が存在する日。

自分は後回し。他人のためになることだけを考える。

 

たとえば、どんなに忙しくても

掃除を率先してやる。

電話を一番に取る。

片付けを手伝う。

等。

 

「感謝されること」

それをいわれたとき、

それだけにフォーカスしたことなかったなあ、と思った。

常に自分のやらなきゃいけないことで

埋め尽くされてる自分がいることに気づいた。

周りを見ていなかったわけではないけれど、

そこまで意識していたわけでもなかった。

 

そのとき、自分が一杯一杯になっているとき、感謝されることをすると、

それだけで安心するから、ということも教えてくれた。

 

本当は行きたくなかったけど、そのことだけに集中してやってみたら

なにか変わるかもしれない、そう信じてやってみることにした。

 

「感謝されること」

他になにができるんだろうと考えていた時に、新しい視点も与えてくれた。

 

例えば電車の中。

席が一つ空いた。

自分は、その近くにいて座ろうと思えば座れる。

けれども、座らないという選択をする。

すると、仕事帰りの疲れた様子のサラリーマンがその席に座る。

 

私は、本来自分が座るとされてた席をそのサラリーマンに

譲ることができた。

 

サラリーマンは当然気づかない。

けれども、自分の中「いいことをした」という感覚が生まれる。

 

この感覚は、自分をほっとさせる。

自分に一杯一杯の私をなんだか落ち着かせてくれる。

 

そんなことを教えてもらって、

次の日の一日を「感謝されること」を意識して

生活してみることにした。

 

その一日を通して感じたことは、

感謝されるとほっとするな、ということ。

つまり、自己肯定感が生まれる。

 

そして、周りにも目を向けることで、

自分自身が今どんな状態にも気づくことができる、ということ。

 

一歩引いて生活してみると、

普段見えないものが見えてくる。

 

面白かった。

 

今自分は、余裕があるのか、ないのか。

自分の元々のやるべきことを優先するのか、気づいた自分を大切にするのか。

 

次に、気づいたときに何を思うのか。

なぜ、周りは気づかないのか、というネガティブな感情なのか。

自分が気づいてよかった、というポジティブな感情なのか。

 

「気づく」ことで、必然的に考えることも増える。

もちろん、その「気づき」の対象に対してもだけど、

「気づいた自分」に対しても考えるようになる。

 

気づきの幅を広げることは、

「感謝されること」が増えることにもつながるし、

自分自身の状態を知ることにもつながるし、

自分の内側からの好奇心が増えることにもつながる。

 

だから、私は気づきの幅を広げていきたいと思った。

 

そして、気づきの幅を広げたときに、

その気づきに対して考えたり、行動を起こせたりする

自分でありたいと思った。

 

つまり、内側の声を大切にできる人になりたい、と思った。

 

自分の好奇心、

与えられるものに対してだけでなくて、

自分の中から沸きあがってくるものを大切にしてあげたい。

 

自分の中にあるものがぼんやりしていくのを感じていたのは

自分の中からの声を大切にできていなかったからだと思った。

 

これができたら、

きっと自分の軸もしっかりしてくるだろうし、

深みもでてくるんだろうな、と思う。

 

最近はじめたヨガのクラスで、こんなことを先生が言っていた。

「自分自身の気づきから生まれる学びは、深みがでてくる」

 

これは自分自身の身体の状態に気づくことが、

ヨガの学びを深める上で重要な要素となる、という意味だと思うけど、

ヨガ以外でも共通していることだと思う。

 

好奇心旺盛なのは変わらないと思うけど、

その向ける方向が変えていく一年にしていこうと思った。

 

21歳のおはる、

どんな日々になるんだろうか。

 

ちょっとずつでもいい方向に進めていけますように!

 

まだまだ目の前のことでいっぱいになりがちだけど、

近いうちに20歳のおはるが経験してきたことや

考えてきたことを振り返る時間を作っていきたいと思っています。

 

お付き合いしていただけたら嬉しいです!笑

 

以上、おはるのつぶやきでした!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハタチ最後の日。

 

今日はハタチ卒業式🌸

 といってもいまのところとくになにもしていません。笑

 

この一年を一言で表すと「充実」

 

ベトナムインターンにいったり、

スタートアップ企業の新規事業チームに参画させていただいたり、

G1に参加できたり、KIPのメンバーになれたり、

気仙沼に行けたり、、、、

 

自分の一人の力では行けない場所に行くことができ、人に出会うことができました。

途中から何かに引っ張られているのではないかと疑いたくなりました。笑

 

それくらい充実してました。

 

去年の今頃には考えられなかった日々を送っています。

 

そんな環境を作ってくださったみなさんには感謝の気持ちでいっぱいです。

 

本当にありがとうございます。

 

最近「おはる頑張ってるよね、すごいよね」て言われることが増えました。

本当ならとてもうれしいことなのに、素直に喜べない自分がいます。

 

恐らくそれは、自分の中でふわっとしてる部分が多いからだと思います。 

 

自分が経験していること、そこから考えていることが

今は自分の中で完結してしまっています。

 

自分からなにも生み出せていませんでした。

 

そして、自分の中で完結してしまっているから、

落とし込めていないことも多いと気づかされました。

 

貴重な経験をさせていただいているのに、

それが伝えられななくて悔しい思いもします。

 

だから、褒められても素直に喜べない自分がいると思うし

自分自身をふわっとしてといる、と表現してしまうのだと思います。

 

これからは、自分が経験していることを落とし込みたいし、

自分の「伝えたい」をカタチにしていきたいです。

 

そのためのひとつの手段として、

御覧のとおりブログを始めることにしました。

 

経験を経験だけに終わらせず、生かせた!と自信をもって言えるように

意識して頑張りたいと思います。

 

これって「経験を享受する」

ていうのかな????

 

ブログに関しては、「楽しみながら」を前提に、

 

自分が感じたこと、考えたこと、伝えたいことを

自分の言葉で書いていきたいです。

 

そうして、自分の考えに深みをつけて

行動につなげていくのが目標です!

 

21歳への自分にエールの気持ちを込めて。

ハタチのおはるより!