おはるのブログ

自分と向き合うためのブログです。

頑張っている自分を見てあげること。

 

「頑張っている自分を見てあげよう。」

 

ずっと言われ続けている言葉。

 

意味もわかるし、

そうしたい気持ちもあった。

 

 けれども、

頑張っている自分を見てあげるって難しいな、

っていうのが率直な感想で。

 

言われて気づくことが多かった。

 

でも、最近はだんだんとその考え方が

染み付き始めている感覚がある。

 

それを顕著に感じるのが、

ヨガの時間。

 

ヨガの時間は、

自然と頑張っている自分をみて、

自分自身にいつもありがとうと

言える自分がいる。

 

ヨガは、「自分自身」を見つめる時間だ。

 

ポーズそのものが大事ではなくて、

 

ポーズに行くまでの過程や、

ポーズを取ることで感じる

心や身体の変化を観察する、

ということを大切にしている。

 

自分自身に向き合うからこそ、

日々の小さな出来事や思考、

身体の変化に気付くことができ、

 

自分頑張っているんだな、と

自然と思えるようになる。

 

また、頑張っていること、というと

なにか成し遂げたこと、とか

目標に向かって頑張っていること、ばかりに

目が行きがちになってまうかもしれないけれど

 

ヨガをやっていると、

 

日々の自分の思考についてきてくれる

身体の頑張りに感謝しよう、

という気持ちが出てくる。

 

例えば、

美味しく食べたごはんを頑張って消化してくれてありがとう、とか。

 

美味しく飲んだお酒を頑張って消化してくれてありがとう、とか。

 

逆に、今日は睡眠時間短くて無理させてしまってごめんね、

でも、起きて頑張って

動いてくれてありがとう、とか。

 

ヨガの時間に言っていた言葉で

印象に残っているものがある。

 

「ヨガのレッスンを受けると決めた自分の選択に尊敬の念を持ち、

今日のレッスンを頑張りぬいた自分の身体に感謝をして、

レッスンを終わります」

 

一言一句同じなわけではないけれど、

そんなことを言っていた。

 

なるほど、そういうことなのか。

 

頑張れているのは

自分の思考や意志(頭)だけのおかげではなく、

そこについてくる身体があるからなんだ。

 

それを改めて実感した。

 

頑張っている自分を見てあげること、って

大切なんだなと強く実感した。

 

頑張っている自分をみることを、

難しいと感じていた当時の私は、

自分の意志・思考(頭)での

頑張りばかりを見ていたから

頑張っている自分を見てあげることが

難しく感じてしまったのかな、

と思った。

 

自分の意志についてきてくれる身体にまで

意識を向けることで、

素直に自分自身に向かって

頑張ってくれてありがとう、と言えるなって。

 

そんな優しい気持ちになれる

ヨガってすごいな。

 

浸透してきたとはいえ、

日常の生活の中では、

頑張っている自分を忘れてしまうこともある。

指摘されて気づくこともまだ多い。

 

だから、

日常の中でも自分自身を見てあげられるように、

なりたいな、って。

 

頭と身体があって初めて、

自分という人間がいる。

 

当たり前だけど、

少し忘れがちなことに目を向けて

一日一日を歩んでいきたいな。

 

そして、自分自身を助けてあげられるようになりたい。

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おはる

 

 

 

 

地方創生をやりたい理由。

地方創生。
最近の話題のワードだ。

 

地方は弱くてこのままだと地方が衰退してしまうからなんとかしなくてはいけない。

「地方創生」という言葉からはそんなイメージを連想させるかもしれない。

 

けれども、私は違う。
文中に詳しく書くけれど、
地方創生は地方のためだけのものじゃない。

私たちのためのものでもある。

 

だから私は、
「地方創生」という言葉は好きじゃない。


はじめてこの言葉を目にした人は、
きっと地方のことだから、ていう理由で
自分ゴト化するのが難しくなるのではないかと思うから。

 

地方が困っているのはたしかだけど、困っているのは地方だけではない。
実は、東京も深刻な問題を抱えている。

 

東京の高齢化。
合計出生率が最も低い都心で、高齢化がこれまでにないスピードで進む。


今後は、地方からの人の流入も減っていく。
東京の人口減少も始まる。

世界主要都市危険度ランキングで1位の東京。
いつ首都直下型地震が来てもおかしくない街。

 

そんな状態でヒト・モノ・カネが集中する東京。

 

そしてなにより満員電車。
毎日毎日満員電車に揺られて
家と職場を行き来する人々。


私は週2だけど満員電車に乗るたびに、
人間が作り出したこの社会構造に恐怖を感じてる。
人間として扱われていない気がして悲しくなる。

 

ヨガをやっていることもあって、
「呼吸」は自分の中で大事な要素になっている。

呼吸に意識を向けて
ゆっくり吸ったり吐いたりすると
自分の鼓動が落ち着いてリラックスできる。

 

ストレスがあるときほど呼吸を大切にしよう。
そう思っているけど、満員電車は別。
空気が、ない。

自分がまっすぐ立っているので精一杯なくらい
人が密集している中に、自分の求めている空気がない。

 

ストレスを和らげようとはじめる「呼吸」に必要な
「空気」がなくて、またストレスを感じてしまう。

 

無の領域に入る。

 

なんでこんな思いをしなきゃいけないんだろう、と毎回悲しくなる自分に出会う。

 

そんな自分に対して、
「これはしょうがないこと。我慢するんだよ」
て言い続けたくない。

 

将来は、絶対に満員電車に乗らない生活を手に入れよう毎回誓う。

 

卒業後すぐに実現できるかわからないけれど、
なるべく自分が心地よいと感じる環境に
人生の大半を置きたいな。

 

そんな経験があるから、
地方創生を考えるとき、
地方がかわいそうという発想からこない。

 

地方の豊かさを
都心の心が疲れてしまっている人たちに

味わってもらって、
元気になってもらいたいなって思う。

 

東京の価値観が当たり前なわけではなくて。

このまま一極集中のシステムのままだと
日本人がおかしくなってしまうのではないか、

という漠然とした不安がある。

 

もしかしたら、自分が思っている以上に、
他の人々は割り切っているのかも知れないし、
大丈夫なのかもしれなけど。

 

そうは言っても、
あるイギリスの心理学者は
満員電車は戦場以上のストレスを
強いられていることを明らかにしている。

 

強いストレスを乗り越えている日本人は
本当にすごいなって思う。

 

だから、他の国からみたらこれは
「普通」のことではないってこと。

朝から心が疲れて悲しくなっている自分は、
自分じゃないと思う。
乗り越えることもできるかもしれないけど、
自分を苦しめるストレスからは逃げたいなって。

 

人間なんだから人間らしく生きたい。
もっと違う生き方があるんじゃないかって。

だから、今は修行の時期。

 

満員電車から降りた後、
外の空気を吸える喜びを味わう。

 

見方を変えると、満員電車があるからこそ、
「呼吸」と「空気」の大切さを

身に染みて感じるのかもしれない。

人とコンクリートが多い生活を送っているから、
まったりした自然が日常に存在する生活に

憧れるのかもしれない。
久々に土のにおいを嗅ぐと、

「生きててよかったー!」と思えるのも、
毎日がコンクリートの生活だからなのかもしれない。

 

だから、この生活がなかったら
地方の豊かさに気づかなかったかもしれない。

だから、気づかせてくれたこの環境には
感謝している。

 

地方創生に関心を持って、
実際に足を運んでいるうちに、
いわゆる「地方」に惹かれてしまって、
思いが強くなっていく自分に気づく。

 

だんだんと「地方のための」が、
「自分のための」と重なっていく感覚に陥る。

「自分のための」は自分1人じゃなくて、
「自分と同じような思いを持っている人たちのため」も入っている。

 

そうした都心の人たちのためにもやりたい。

 

地方創生から日本を創生して、
そして、日本人に活力を与えたい。

そんなことをしたいなって。


おはる心の声。

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理想の世界。

 

先日、夏に挑戦してみたいプログラムの一時選考があった。

そのときに課題と出されたのが、

 

「あなたの作りたい○○な世界」

 

だった。

 

 

会社に引き寄せて書くのでなく、

自分の理想を語れるエントリーシートを書く時間は

自分と向き合う有意義な時間になったと思う。

 

最初は難しかったけれど、

だんだん具体化していって

楽しくなっていくのがわかった。

 

「理想の」だったからファンタジーみたいな世界だけど、

それが私の「理想」だったから、思うがままに書いて提出した。

 

せっかく書くなら自分がわくわくするものがいいから。

 

 

私の作りたい理想の社会は、

「好奇心と感動であふれる社会」だ。

 

 厳密に表現すると、

好奇心に向き合える個人と、

育ててくれる周りの人、

その両方が存在する社会があって。

 

そして、 

その社会の中で感動があふれる社会を作りたい。

  

自分の好奇心に気づき、向き合い、

好奇心を太く強くしなやかに育てていける社会になったら、

 

 

「生き方」に迷う人がいなくなると思う。

そして、人生がより豊かに充実したものになるんじゃないかな、と思う。

 

自分の好奇心を大切にできる人は、

きっと自分以外の好奇心も大切にできると思う。

 

自分の軸さえあれば、

受け入れる心も自然と生まれてくるのかな、って。

 

 

好奇心は、「生きる」をより光り輝くものにさせて、

「幸せ」と感じて生きる人が増えるのではないかな、って思っている。

 

 社会もいろどり豊かなものになるのかなって思う。

 

だから、私は「好奇心」を大切にしたい。

 

 

そして次に「感動」

 

私は「好奇心」の先には「感動」があると思っている。

 

好奇心を追求していくと、

きっとどこかで壁にぶつかる。

 

でも、それは自分の好奇心に向き合ったからこそぶつかる壁で。

だからこそ、きっとがんばれる。

乗り越えられる。

 

乗り越えた先には、

「感動」が待っていると思う。

 

一生懸命自分の気持ちに向き合って

初めて出会う世界を味わった瞬間、

 

乗り越えた人だけが味わえる「感動」という

特別なプレゼントが与えられる。

 

その感動は、自分の中に生き続け、自分の原動力になる。

その感動は、行き詰ったときには、自分に勇気を与える。 

 

また、自分の好奇心と向き合い乗り越えている人は、

その人自身が「勇気」というプレゼントを

自分以外の人にも贈ることができるんじゃないかな、と思っている。

 

自分の好奇心を育てていくとき、

一人では絶対できない。

 

いろんな人に支えられて、

好奇心がカタチになっていく。

 

だからこそ、カタチになったときの喜びは

分かち合えるものになって、

大きくなるのかな、と思う。

 

 

私自身も好奇心を大切にして、

 向き合って、乗り越えて、

まだ味わったことのない「感動」というプレゼントを

自分自身から受け取れたらいいな、って。

 

そして、私自身の生き方が、

周りの人に「勇気」という名のプレゼントを

贈れる人になりたいなって。

 

 

そんな人生を歩みたい。

そして、そんな社会にしたい。

 

この内容の要約したものを提出して、

先日連絡が届いた。

二次に進めることになった。

 

まだ、合格は決まったわけではないけれど、

なんだかうれしかったからブログに書いてみた。

 

合格できたら一番だけど、

どんな結果であれ受け入れて生きていこう!

 

 

 過去の自分から勇気をもらう一枚。

 

 おはる

 

5月に学んだこと。

 

 

それは、自分を休ませてあげることだ。

 

5月は風邪や胃痛、肋骨の痛みに襲われた。

身体が思うように動かず、

ヨガもインターンもお休みをし、

いろんな約束もキャンセルさせてもらった。

 

こんなことは今までなくて、

「休むこと=悪いこと」と植えつけれていた自分は

休むこと自体に罪悪感を感じ、申し訳なく思っていた。

 

胃痛と肋骨は、ストレスが原因と考えられるから、

無理せず休むように、と病院の先生にも言われたのに

休んでいる自分にイライラして、

むしろこのイライラで

ストレスで悪化させてしまうのではないか、

と思うようになった。

 

心が弱っているときに、

自分のエゴが心をさらに攻撃して

 

辛い状況を創り出していた。

 

心が弱っているのはいろんな要素があったから、

まずは、心をより弱らせようとしている

自分の「休む」に対する意識を変えようと思った。

 

どうしたら身体だけでなく心も「休む」ことができるのだろうか。

 

そんなときに出会った印象に残った言葉が二つある。

 

自分の身体からの声に耳を傾け、

自分のために「休む」ことを選択した自分に誇りを持つこと。

 

これは、自分の選択に自信を持つことだ。

そして、選択した自分の時間を最大限有効活用すること。

 

結果、その選択をしてよかった、と思うこと。

 

人生は、自分が選択した時間で生きているんだから、

その選択した時間を最大限に使うことに

集中すればいいんだ、って思えるようになった。

 

 

「しなければいけない」ではなくて「したほうがいいな」マインドを持つこと。

 

「なぜ、しなければならないのか?」

誰のための「しなければいけない」なのか?

 

こんなことを考えていたら、

知らない間に意識が「自分以外」に向けられていていることに気付いた。

 

そうしたら、今は「自分」のために時間を

使ったほうがいいと自分の身体が言っているんだから

 

この「しなければいけない」は

自分のための「しなければならない」じゃないんだ、

と切り分けて考えられるようになった。

 

もう少し踏みこんで書くならば、

今は、自分のための「しなければならない」

を優先するときなんだから、

自分のために時間を使わなきゃね、って自分を納得させる。

 

この2つを意識し始めたら、

「休む」を次第に受け入れられるようになってきた。

 

まさか自分が「休む」についてこんなに悩み苦しむとは、、、

思っていなかった。。。

 

立ち止まり、考える経験をして、また、少し成長できたかな。

 

体調崩すまで頑張ってくれて、

そして、自分自身に気づきを与えてくれた身体と

支えてくれる人に感謝しようって思った。

 

今後は、自分の限界をある程度わかったから

体調を崩す前に適度に「休む」ことを覚えていけたらいいなあ。

 

「手」じゃなくて、「力」の抜き方

学んでいきたいな。

 

 

 

自然に身をおくと心が落ち着くなあ。

自分の気持ちに素直に生きていきたい!

って 思えた瞬間。

 

おはる

バレエと向き合って感じること


バレエってすごい力を持っているなあ。

 

久々に踊ると心が喜んでいるのがわかる。

自分自身の内側にあるものを、
外の世界に向かって解き放つ感覚。

 

いろんな制限から解放されて、
自分の感性から作り出される

想像の世界が広がる。

 

自分の感覚を頼りに
音楽と「自分」を調和させて
想像の世界ををカタチにしていく。

 

言葉にならない「何か」を生み出せる

喜びを味わえる。

 

心に栄養を与えているなって思う。

 

やっぱりバレエっていいな。
心がきれいなる感覚を味わえる。

 

でも。

 

なんでもそうだけど、
なにかをやればやるほど
欲というものがでてきて。

 

こんな踊りしたい、こんな表現したい、とか
向き合えば向き合うほど

ほしいものがでてくる。


自分のできないところが見えてくる。

 

そのできないところを埋めて、
自分の表現を追求していくことが目的なのに

 

埋めていくことで精一杯になって

本来の自分の「表現」の追求を忘れがちになってしまう。

 

表現のための土台が、
土台で終わってしまっては辛いだけだ。

 

表現=心
土台=身体

 

このバランスを取ることが大切だなって

最近バレエのレッスンを受けると感じる。

 

昔はこのバランスが崩れて、
自分を苦しめていたなあって思う。

 

今、こうやって月に2回くらいだけど
バレエの時間を持ててるからには、
できるだけこのバランスを崩さずに
やっていきたい。


そうすることで、
長くバレエと付き合っていけそう。

 

でも、不思議だ。
昔はできなかったフェッテのダブルとか
ピルエットのトリプルとか、

圧倒的に練習量は少ないのに、

挑戦する自分がいる。
できてしまう自分がいる。

 

やってみよう、と挑戦する心を
持つか持たないかで
身体の動き方も変わってくるんだなって思った。

 

だから自分自身の思考に

制限をかけないようにしたいな〜〜 。

 

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おはる

 

感動の分かち合い。

 

 

 

地方に関心を持ち始めた理由。

 

大学1年で取り扱った本「地方消滅」がきっかけだ。

 

その本で、日本にも多くの課題があることを知った。

日本人なのに、日本のことを知らない自分にショックを受けた。

 

その反面、本の中でこうした課題のある地域は

地域資源が豊富にあることを知った。

とはいっても、まだ開かれていない資源だ。

資源を資源だと認識していない資源だ。

 

その本の中では、限界集落といわれていた過疎地域で、

課題を「強み」に変えている事例を見た。

住民に活力が生まれ、地域にも活力が生まれていく、

そんな事例を見た。

私は純粋にこうしたことをしたい、と思った。

まだ開かれていない資源に磨きを加えて、

課題をその地域の「価値」にしていく。

 

まだ出会ったことのない日本に出会える気がした。

そして、その地域と住む人たちが

変わっていく姿に「課題地域」の可能性を感じた。

わくわくした。

 

だから、日本をもっと知りたいと思った。

これまで、漠然と世界で活躍したい!と思っていた自分から反転。

地域政策コースを選んだ。

 

日本人だから、日本のためになりたいな、って。

日本があってこその、世界なのかなって。

だから、視点を日本に移した。

 

まだ開かれていない資源に気づいたときの喜び、

そして、それを地域の人たちと分かち合うときの喜び、

そして、それを次は

地域の外からきた人たちに知ってもらったときに生まれる喜び。

 

いろんな感情に出会えるのかな。

 

課題がたくさんあること。

それは、つまり、感動の生まれる場が

たくさんあることでもあるのかなって思っている。

 

 地方には感動のポテンシャルが詰まっている。

この感動のポテンシャルをカタチにしていきたいな。

 

 

私自身が感じた地方の感動のポテンシャルも、

書けたらいいな。

前に投稿した「人の温かさ」もそのうちのひとつかな。 

さて、次に本題。

 

感動にこだわる理由。

 

感動を生みだす場って、

その深さにかかわらず、共通しているのは

両者がいい思いをすることだと思っている。

感情という名の「後味」が口の中に残る。

 

その後味が忘れられなくて、

また、味わいたい、と思って、

その場に戻ってきたり、そのとき出会った人に再開したり。

 

持続的なものへと変化するのかな、と思っている。

 

だから、「感動経験を生み出す」ことを

したいと思っているのかな、と思う。

 

今の世の中は、お金があればほとんどのものは手に入る。

 

「もの」と「お金」のやりとりで完結できてしまう。

直線的な関係。

そこに「人」が存在しない。

誰がどんな思いで作り、だれがどんな思いで受け取っているのか。

 

それが見えない。

 

だから、移り変わりが激しい。

感動も生まれない。もしくは、少ないのかな、と思う。

なんだかさみしい。

 

感動とは「深く物に感じて心を動かすこと」。

 

深く物に感じる。

それって表面的な情報だけだと難しい。

だから「お金」という指標で動かされる。

 

感動は、対象が心の中にないと生まれないと思う。

そして、心の中にそれに対する「共感」があって、

「感情が動く=感動」になるのかなと思っている。

 

だから、「もの」と「お金」の一方通行の関係ではなく、

「もの」の先と「お金」の先にあるものを大切にしたいと思う。

 

「人」という感情を持った人たちにまで広げて、

双方向にすることで、

「もの」や「サービス」に対しても、

なにか温かさを感じるものにならないだろうか。

 

直線道路ではないから早くはないけれど、

寄り道しながら、いろんな景色楽しんで。

だから、知らないうちに

お互いのことを知って、応援したくなる。

そんなイメージを思い描いている。

 

関係性が見えることで、

なにかが変わるのではないか、と思っている。

感動には、ものすごいパワーがあると思っている。

 

この感動のパワーの源泉のひとつに

「地方」があるのかな、と思っている。

実はもう一つあるけれど、

これはまたの機会にしよう。

 

こんな感動の場があって、

それがお互いで分かち合える

そんな場をつくっていきたいなあ。

 

そんなことをしたい、と思いながらも、

Howは見つかっていない。

 

 

だから、探究していこう。

 

 

はじめ勉強、という表現していたけれど、

「勉める」に「強いる」を書く

勉強は好きじゃないなあ、と思って、

 

勉強のポジティブないい方ないかな、と聞いてみたら

「探究でしょ!」って。

物事の本質を追究して見極めていくこと。

たしかに!いい言葉だ!

 

今度記事にしたいな、と思うものが

意外と多くて追いついていない気がしてきた。。

まあ、ゆったり自分と向き合うためのものだから

出来る範囲でやっていけばいいかな^^ 

 

おはる

大切にしたいこと。

 

 

志。夢。

私はいったい何を目指しているんだろうか。

 

そんなことを考えているときに、

明確な志ではないかもしれない。

明確な夢でもないかもしれない。

 

でも、

私には大切にしたいことがあることに気づいた。

 

そして、もしかしたら、

これが志や夢につながるかもしれない、と思い、

考えてみることにした。

 

私が大切にしたいことは、

「人々に感動経験をもたらすこと」だ。

 

なぜ、大切にしたいのか。

 

それは、それができたと感じたとき、

もしくは、やろうとしているとき、

自分自身の中に喜びや居心地のよさを感じるからだ。

 

この思いは、

約2年間のスターバックスのアルバイトをしていく中で

根付いた考えだと思っている。

 

そして、それが私の中で

大事なものになっていることに気づいた。

 

だから、

「感動経験」という表現は

スターバックスの表現を借りている。

まだ自分の言葉ではない。

だから、自分の言葉で表現できるようになりたいな、と思う。

 

先月、スターバックスを退職した。

物理的な問題もあったが、もうひとつ理由があった。

 

それは、スターバックスのビジョン

 

「一人ひとりのお客様の日常に心豊かで活力をもたらす瞬間を創り出します」

 

が本当に好きだったから。

 

このビジョンは「感動経験をもたらすこと」とつながっている。

 

なぜなら、感動経験をもたらすことで、

「一人ひとりのお客様の日常に心豊かで活力をもたらす瞬間を創り出します」

ということができると信じているからだ。

 

 スターバックスのビジョンが、

人生におけるビジョンといえるのかもしれない。

言い切れなくても、それに近いと思っている。

 

 

では、なぜやめてしまったのか?

 

それは次のミッションにある。

 

スターバックスは、

ひとりのお客様、一杯のコーヒー、そしてひとつのコミュニティから

をミッションに掲げている。

 

一杯のコーヒーをきっかけに、

人々を心豊かで活力のあるものにしていく。

 

わたしは、コーヒーの上に乗せるものを大切にする

スターバックスが好きだった。 

 

けれども、自分に置き換えたとき。

 

それは、必ずしも「コーヒー」ではないのかな、と思った。

 

「感動経験をもたらす」

そして、そこから

「心豊かで活力のある日常を創り出すこと」

 

それを、「自分」の持っている「なにか」から

実現してみたいと思った。

 

「なにか」は、まだわかっていない。

 

だからこそ、

「自分自身を高めて、それができるくらいになる」

っていう意気込みでいる。

 

まだ、思い描いている

理想の自分とは程遠い。

 

だからこそ、このちょっときつい過程を大切にして

味わいたい。

 

感動経験をもたらして、

心豊かで活力のある日常を創り出すこと。

 

これって志っていえるのかな?

夢といえるのかな?

 

確実にいえることは、

私が大切にしたいことであること。

 

だから、このイメージを持って、

「行動」というよりは「生活」していきたいな。

 

この感動経験をもたらすこと、を大切にしたいのは、

きっとスターバックスの力だけじゃなくて、

働いていた場所がベースだった、ということも大きいと思っている。

 

これはまた長くなりそうだから、

またの機会にしようかな。

 

こんな思いを創ってくれたスターバックス感謝したいな。