生きるために働くの?働くために生きるの?それとも、、?
大学三年の試験がすべて終わり、
春休みが始まった。
今年は、いつもとなんだか違う。
純粋に春休みだ!!!ってならない。
そう、「就活」
大学を卒業したら、社会人となる。
私は、どんな社会人になりたいんだろう。
どんな生き方をしたいんだろう。
そんなことを考えていた。
そんな時に目に入ったのが、
働くために生きるのではない。生きるために働くのだ。
という言葉。
たしかに、そうだ。
でも、なんだかしっくりこない。
「生きるために働く」
という言葉に違和感を感じてしまった。
「生きる」という「目的」のための「働く」と思えなかったから。
それを突き詰めていくと、
「生きる目的」がはっきりしていないから、違和感を感じることに気付いた。
生きる目的があったら、「生きるために働く」と聞いてもしっくりくる気がする。
じゃあ、人間の生きる目的ってなんなんだろう。
人それぞれ違うと思うけれど、人が生きようと思えるのは、
最終的にその人の「幸せ」があるからなんじゃないかな。
目的とは少しずれているかもしれないけれど、
人は「幸せ」という希望があるから、生きるんだと思うのよね。
そう思ったとき、
「幸せになるために働く」と考えたほうがいいんじゃないか、って思った。
(さらに言えば、「幸せだから働く」が理想の状態だと思うんだけどね。)
でも、ここで言いたいことは、
生きるための人生ではなくて、幸せになるための人生であるということ。
「生きるために働く」と言っても、
「生きるため」の目的がある人とない人で受け取り方が変わってしまうから。
私たちは、幸せになるために生きている。
だから、働くことを通して、
生きることの根底にある「幸せになること」をもっと考えていいのかなって思う。
たとえ仕事がきつかったとしても、
それが自分自身の幸せであったり、
幸せに繋がっていると思えたりするなら、
いい生き方をしてるんじなないかな、と思う。
働くための人生でも、生きるための人生でもない。
生きることを通して、
幸せになるための人生なんだと思う。
まだ、社会に出ていないからこんなことが言えるのかもしれない。
でも、生きるからには幸せになりたいし、生きることに希望を持ちたい。
人生の大半を占める「働く」時間。
選択肢がある時代だからこそ、自分で自分の幸せに気づいて、
導いてあげなきゃいけないと思う。
そして、「自分自身の道を歩んでいる」と思える生き方をしたいと思う。
おはる