暴力を振るわない=アヒムサ ~ヨガの八支則~
「暴力を振るわないこと」
誰でも「こんなの当たり前に知っている!」と言ってしまうような言葉だと思う。
そして、大半の人が「当たり前にできている」「自分にはあまり関係ない」
と思ってしまうのかなって思う。
実は、この「暴力を振るわないこと」は、
ヨガの八支則の第一ステップのしてはいけないこと:ヤマ(禁戒)
に書かれている。
それも、一番初めに。つまり、ヨガの大原則なのだ。
ヨガの八支則では、「暴力を振るわないこと」を「アヒムサ(Ahimsa)」という。
ちなみに、日本語では「非暴力」と表現される。
多くの人は「非暴力」と聞くと、ガンジーを想像するのかな。
誰かに対して暴力を振るわないこと、と捉えるかもしれない。
もちろん、その通りだ。
けれども、ヨガの「アヒムサ」は、もっと広い意味を持っている。
「何かを傷つけることをすべて避けること」
これが、アヒムサ。
だから、他人はもちろん、自分に対しても傷つけてはいけない。
身体を痛めつける肉体的な暴力だけでなく、
表現によって傷つけるの言葉の暴力、
さらに、心を傷つける思考の暴力も含まれる。
他人を傷つけるようなことはしたくない。
多くの人はそう思って、生活しているんじゃないかな。
だけど、自分を傷つけないようにしよう。
って思ってる人はどれくらいいるんだろう。
例えば、
暴飲暴食をして身体を痛めつけないようにしよう。
身体を痛めつけるほど、過度な練習をしないようにしよう。
とか。
他人には言わないような厳しい言葉を
自分にも使わないで自分を責めないようにしよう。
自分はだめだ、と否定しないようにしよう。
とか。
でも、正直わからなくなる。
どこまでが、アヒムサなのか。
暴飲暴食の例は、わかりやすいけれど、
それ以外の「身体を痛めつける」とか「厳しい言葉をかける」とかは、
「自分への甘え」にもなりかねないから。
自分はアヒムサという言葉に自分逃げていないだろうか?
時々、わからなくなる。
「アヒムサ」で自分は弱くなっていないだろうか。
「傷ついた」と思わなければ、それはアヒムサなのか。
でも、こういう自分を追い込むような考え方自体が「アヒムサ」ではないのかな。
というわけで、自分はヨガの八支則の一番初めからつまずいている。
傷つけないって難しい。
でも、思ってしまった。
自分が挑戦したいと思っていることだったら、
思いっきりやってみてもいいんじゃないかな、って。
そうしたら、それは「暴力」ではなくなるんじゃないかなって。
多少の負荷をかけないと筋肉もつかないからね。
自分に必要な痛みだったら、
「暴力」ではなくて「愛の鞭」に変わるんだと思う。
自分なりにアヒムサを見極めていきたいな。
おはる