おはるのブログ

自分と向き合うためのブログです。

「ヨガインストラクターになること」がゴールではない。

 

ヨガインストラクターとして活動し始めて約5ヵ月。

 

ヨガインストラクターという肩書で紹介されることが多くなってきた。

 

しかし、そのように認識されることに対して、

自分の中でどこか違和感を感じていた。

半分合っているけれど、半分合っていない。

 

ヨガが嫌いになったわけではない。

 

じゃあ、なんで違和感を感じるのだろう。

 

私が理想とする姿を一から考え直すことにした。

ヨガという言葉を使わずに。

 

そうしたら、こんな言葉に辿り着いた。

 

人が一番輝ける身体と心の状態に導ける人になりたい。

そして、その人本来の良さを発揮し、

幸せに生きられる社会を創造していくことに貢献したい。

 

おそらく私は「ヨガ」という言葉を用いることによって、

その人がイメージする「ヨガ」で私を認識されるのが、

嫌だったのかな、と感じた。

 

そして、

私が理想とする姿、社会に近づくための一つの手段にヨガがあって、

ヨガがすべてではないから、

「ヨガインストラクター」の一言で自分を見られるのに

違和感を覚えてしまったみたい。

 

でも、ヨガインストラクターとしての私は紛れもなく私自身。

 

もやもやがあるんだったら、自分が想い描いているものを共有して、

私と相手にあると思われるギャップを埋めていけばいいんだって思った。

 

伝えなきゃわからない。

 

簡単な話だった。。。

 

伝えるのは難しいけれど。。。

言語化が苦手なおはるがんばれ、、、。

 

 

 

 

 

 

 

 

思うこと。~ヨガの学校、卒業しました🌷~

 

ヨガを学んで思うことは、

やっぱり健康は大切だってこと。

 

幸せの基盤だと思うから。

 

健康だからこそ、五感は健全に働く。

 

そうすることで、自分の周りで起きている出来事を

認識し、受け入れることができ、

感性も豊かに、充実した人生が送れるんじゃないかって思う。

 

 

ここでいう「健康」は病気じゃないことではなくて、

身体も心も良好な状態のこと。

 

ちなみに、WHOの定義では

「身体的、精神的、社会的に完全に良好な状態」と表現している。

 

 

現代社会は、いわゆる「頭でっかち」になりがちで、

身体への意識が置いてきぼりと言われている。

 

自分の身体をよく知らなかったり、理解しようとしていなかったり。

 

 

本当にもったいないなあ、って思う。

身体には、素晴らしい機能がたくさんあるのに!

 

生きていく上で一生付き合っていく、自分の身体。

 

私たちに与えられた身体を最大限に生かせたら、

もっと人生が豊かなものになるんじゃないかなって思う。

 

不思議かもしれないけれど、

身体のメンテナンスをして整えていくと、心まで整う感じがするのよね。

視界が明るく、広がるような感覚。

 

だからこそ、まず、私は身体の可能性を引き出していける人になりたいなって思う。

 

そして、心も身体も健康な人が増えたら嬉しいなって思う。

 

長い長い道のりになりそうだけど、

ひとつひとつ楽しみながらやっていけたらいいな。

 

おはる

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生きるために働くの?働くために生きるの?それとも、、?

 

大学三年の試験がすべて終わり、

春休みが始まった。

 

今年は、いつもとなんだか違う。

純粋に春休みだ!!!ってならない。

 

そう、「就活」

大学を卒業したら、社会人となる。

 

私は、どんな社会人になりたいんだろう。

どんな生き方をしたいんだろう。

 

そんなことを考えていた。

 

そんな時に目に入ったのが、

 

働くために生きるのではない。生きるために働くのだ。

 

という言葉。

 

たしかに、そうだ。

 

でも、なんだかしっくりこない。

 

「生きるために働く」

という言葉に違和感を感じてしまった。

 

「生きる」という「目的」のための「働く」と思えなかったから。

 

それを突き詰めていくと、

「生きる目的」がはっきりしていないから、違和感を感じることに気付いた。

 

生きる目的があったら、「生きるために働く」と聞いてもしっくりくる気がする。

 

じゃあ、人間の生きる目的ってなんなんだろう。

 

人それぞれ違うと思うけれど、人が生きようと思えるのは、

最終的にその人の「幸せ」があるからなんじゃないかな。

 

目的とは少しずれているかもしれないけれど、

人は「幸せ」という希望があるから、生きるんだと思うのよね。

 

 

そう思ったとき、

「幸せになるために働く」と考えたほうがいいんじゃないか、って思った。

 

(さらに言えば、「幸せだから働く」が理想の状態だと思うんだけどね。)

 

でも、ここで言いたいことは、

生きるための人生ではなくて、幸せになるための人生であるということ。

 

「生きるために働く」と言っても、

「生きるため」の目的がある人とない人で受け取り方が変わってしまうから。

 

 

私たちは、幸せになるために生きている。

 

だから、働くことを通して、

生きることの根底にある「幸せになること」をもっと考えていいのかなって思う。

 

たとえ仕事がきつかったとしても、

それが自分自身の幸せであったり、

幸せに繋がっていると思えたりするなら、

いい生き方をしてるんじなないかな、と思う。

 

 

働くための人生でも、生きるための人生でもない。

 

生きることを通して、

幸せになるための人生なんだと思う。

 

まだ、社会に出ていないからこんなことが言えるのかもしれない。

 

でも、生きるからには幸せになりたいし、生きることに希望を持ちたい。

 

人生の大半を占める「働く」時間。

 

選択肢がある時代だからこそ、自分で自分の幸せに気づいて、

導いてあげなきゃいけないと思う。

 

そして、「自分自身の道を歩んでいる」と思える生き方をしたいと思う。

 

おはる

 

 

 

 

 

今年の目標は、アビヤーサとヴァイラーギャ。

 

2018年が始まった。

 

振り返ると、2017年は自分自身に挑戦した一年だったかな。

「自分」という原点に立ち返り、

「わたし」を原動力にして行動することを大切にしてきた。

 

2018年は、土台をしっかり固めたい。

 

そこでヨガ哲学で学んだ「アビヤーサ」と「ヴァイラーギャ」という言葉が頭に浮かんできた。

 

この2つの言葉が2018年の目標。

 

「アビヤーサ」には、「修習、修練」という意味がある。

繰り返しの練習、努力し続けること、と訳されることもある。

 

そして、「ヴァイラーギャ」には、「離欲」という意味がある。

欲を手放すこと。

 

私は、この2つの言葉には2つの捉え方があると思っていて、

それを日常で取り入れていきたいと思っている。

 

まず大前提に、

それはアビヤーサとヴァイラーギャは

セットで意識して行うことが大切だということ。

 

それを踏まえて二つの捉え方を見ていきたい。

 

まず、一つ目の捉え方は、

アビヤーサはヴァイラーギャが前提で行うものであるということ。

 

努力することって、とても地道なこと。

そして、努力したからってすぐに結果が返ってくるか、というとそうではない。

結果が欲しいという欲を手放し、

今できることを、やるべきことに集中すること。

 

努力を続ければ続けるほど「結果がほしい」という

「欲」が出てきてしまいがちだと思う。

 

アビヤーサの「修習」をヴァイラーギャの「離欲」を前提で行うことは、

「結果にこだわらず、努力していることに目を向けること」

につながるのかな、と思う。

 

もう一つは、アビヤーサが自然とヴァイラーギャになるということ。

 

努力を続けることは、努力する対象に集中している状態と言える。

集中しているから、他のことに気が散ったり、誘惑されたりしない。

 

やるべきことを見極められているから、

自分にとって不必要な欲を手放すことができる。

見極められていないと、いろんな欲に悩んで苦しんでしまうんだと思う。

 

アビヤーサすることによって、ヴァイラーギャをすること。

これが二つ目の捉え方だと思う。

 

まとめると、

ヴァイラーギャを前提にアビヤーサをする。

そして、アビヤーサをしてヴァイラーギャをする。

 

これができるようになりたい2018年。

がんばるぞ。

 

おはる

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2017年、ヨガとわたし。

 

2017年は「自分のやりたいことを極めること」を目標にした。

 

そして、ヨガの資格を取ると決め、学び始めた。

 

 この一年で「自分」をいろんな角度から見られるようになったな。

 

 

心の働き。

身体の働き。

 

そして、それを扱う「私」

 

自分が心と身体についての認識を深めておくことの大切さを学んだ。

なぜなら、認識が浅いと、正しいケアができないから。

 

ヨガでは、認識が浅く正しいケアができないことが、苦悩や悩みの原因と言っている。

 

 

心の働きを知って、自分が心を見る存在になれれば、感情に振り回されることはなくなり、心が穏やかに保つことができるはず。

 

自分の身体を知って、自分が身体を見る存在になれれば、適切なケアができ、健康を保つことができるはず。

  

安定した自分でいるために、心と身体への認識を深めたい、そう思った一年だった。

 

2018年は、さらにヨガの学びを深めていきたい。

そして、自分の心と身体を使って実践していきたい。

 

そして学びを深めつつ、

新たなチャレンジとして「教える」ということも始めていきたいな。

自分が体感しているものを、シェアできるようになれたら、幸せだから。

その第一歩を踏み出したい。

 

さっそく年明けからヨガのクラスを開催する予定。

どきどきだけど、やってみて学ぶことのほうが多いと思うからジャストトライ!

 

もし、私のヨガを受けてみたいという方がいたら連絡ください^^

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心を磨く道


“わたしたちの「心」「身体」「言葉」はわたしたちに与えられた「道具」なんですよ”

これは、ヨガ哲学の授業で先生がおしゃっていた印象に残っている言葉。

ヨガでは、「自分」とは「心そのもの」でも、「身体そのもの」でもないと言われている。
「自分」とは、心を動かし、身体を動かしている「意識の源」と考えられているから。

そのため、心も身体も、言葉も、全部自分が持っている「持ち物」と考えられている。
自分に与えられた「プレゼント」と受け取っても良いのかな、とも思う。

この持ち物をどう使うかは「自分の意志」次第である。

さらにいうと、これらを通してわたしたちはこの社会と関わっている。

だから、社会と上手にかかわっていくためにも、自分の心・身体・言葉を健全に保つことが大切になる。

ヨガは、さまざまな種類があるけれど、全てに共通しているのが「心が磨かれていくようにデザインされている」という点。

だから、ヨガは心を磨いていく道になる。
心を豊かに成長させていくこと。

心は放っておくと常に動き回り、変わり続ける。
だからこそ、わたしたちは自由奔放な心の動きに振り回されないようにケアをしていく必要がある。

心を自由にさせておくと、それが悩みや苦しみの原因になってしまうと言われているから。

心に振り回されない強い心を育んでいくこと。
それがヨガの道。

自分の心をケアしていくことは、とても大切なことだって、自分自身を見ているとよーくわかる。

心をうまくケアできないときは、心に振り回されて、悩んだり、落ち込んだりする。
本当になにもかもが嫌になる。

そんなとき、心さえその気になれば、ってすごく思ってしまう。

「心は自分の意志と努力で成長させるしかない」とある本に書いてあった。

自分自身が心を握っておかなきゃいけないんだ。
そして、自分で心を成長させていかなきゃいけないんだ。

心の性質を知り、自分の心と向き合うことができるヨガに出会えてよかったなって改めて思う。

心を磨く道、ヨガ。
強い心を育むこと。

まだまだ始まったばかり。
しっかり学んで、実践して、自分と向き合っていく、ということを続けていきたい。

そして、強い心を育んでいく。

おはる


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大切な言葉。

 

よく耳にする言葉。

 

「感謝する心」

 

この言葉の大切さを実感した。

そして、心に留めておきたいから、言葉にすることにした。

 

なぜ、感謝することが大切なのか。

 

それは、人間は一人で生きてきていないから。

どんな人でも、自分以外の力を借りて、生きている。

 

当たり前のことなんだけど、うまく行かないことがあったり、落ち込んでいたりすると、忘れてしまう。

 

そして、あたかもこの世界がわたしを不幸にしているかのように感じ始める。

 

普段は、わたしたちは普段自分以外の人や自然から恩恵を受けて生きているのに、自分の思うようにいかないときになると、それらが私を不幸にさせているかのように思い始める。

 

なんて自分勝手だろう。反省した。

 

わたしは自分へのこだわりが強くて、頑固なところがある。

やりたいことがあって、それに向けて突き進みたい。

 

だからこそ、壁にぶつかったときに、苦しくなる。

そして、「人生終わった」と思うくらい悲しくなって落ち込む。

なんて惨めなんだ、可愛そうなんだって、思うようにいかない原因を自分以外に向ける。

 

自分を守ろうと必死だから、心を閉ざし始める。

自分の感情に合うように、目の前に起こっていることに意味づけする。

 

自分という狭い世界で生き始めるから、「感謝」という言葉も出てこなくなる。

 

なんて弱いんだろう。

冷静になったとき、自分の弱さに気付いた。

 

では、そんな自分の弱さを克服するのはどうしたらいいのか。

 

それが、「感謝の心」を持つこと。

どんなに辛いことがあっても、嫌なことがあっても、感謝の心を忘れないこと。

 

人は、調和の中で生きているから。

 

だから、「人間」と書くんだなあ、とふと思った。

「人」の「間」の中で生きるから。

 

調べてみたら、「人間」はもともと「世の中」という意味であることがわかった。

「人」が、「社会」を作り、社会そのものを「人」として指すようになったから、「人間」だと言う。

 

やはり人は「調和」の中でしか生きていけない。

だから、「人間」なんだ。

 

人間として生きていく上で、「感謝の心」は本当に大切だと思った。

 

私がいっぱいいっぱいになってしまっていたときに、ある人が、教えてくれた。

「感謝の心」を持つことの大切さを。

 

そこから、感謝について考え始めた。

考え始めたら、いかに感謝が大切かわかった。

 

だから、大切なことを教えてくれたその人に本当に感謝している。

ありがとう。

 

自分の弱さを知り、心の癖を知った。

強くなりたい、そう思った。

 

だからこそ、いい時だけでなく、自分にとって苦しい時、辛い時も、感謝の心を持つことを忘れないようにする。

 

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