おはるのブログ

自分と向き合うためのブログです。

ネガティブになる理由。

 

体調を崩すとそれが心まで影響して、

普段、できることができなくなって、

やりたくなくなって、

どんどんどんどんネガティブになる。

 

身体が強くなると、心も強くなるっていうけど、

それって反対も言えて

身体が弱くなると、心も弱くなるなって。

 

でも、心の弱さって自分の弱さから来ているから、

本当ならコントロールできるわけよね。

 

それなのにできないのは、心のどこかで、

「あー、わたしって弱いな」って思いながら、

そこに居心地のよさを感じてしまうからなのかなって思った。

 

身体が弱っているんだから、

心も弱っていいよねって甘える自分がでてくる。

 

体調も回復して、冷静に自分を分析するとこんな感じ。

 

でも、なんで普段見えない心の弱さが出てくるんだろう。

弱い自分に居心地のよさを感じてしまうんだろう。

 

もちろん、強くなりたいっていう自分もいる。

でも、このまま弱い自分でいたいっていう自分もいる。

 

普段なら、前者が勝つんだよね。

でも、体調を崩すと後者が強くなっちゃう。

だから、ネガティブな感情がエスカレートしていく。

 

どちらも自分自身に変わりないんだけど、

 

前者は理性と知性がある自分、

後者は欲とか感情だけの自分なんだよね。

 

後者は、コントロールがきかないから

心がぐらついて安定しない。

 

だって、刺激のある方向へ心はどんどん反応するから。

楽なほうへ楽なほうへ思考が持っていかれるから。

そして、支えるものがないから。

 

自分自身の虚像を追い求めて、虚しさを感じてしまう。

 

こう考えていたら、

なんで体調崩すとネガティブになるのかわかってきたかも。

 

体調を崩しているときって、

「ゆっくり休んでね」っていうよね。

 

このときって、普段働いてくれている

理性も知性も一緒に休んじゃうだと思う。

というか、働くエネルギーがないんだと思う。

 

だから、体調崩しているときって、

自分の「欲」や「感情」ばかりが浮き出てきて、

心を揺さぶって普段だったら見られない

自分の弱さとかネガティブがでてくるのかなって。

 

こう考えたら、体調崩しているときに

とことんネガティブになるのは、

自然のことなのかなって思えてきた。

 

たまには、欲を開放させてあげてもいいのかな、って。笑

 

無理にポジティブになったら、

身体も心も休まらないのかな、とかね。

 

おはる流考察はこんな感じ。

 

体調崩したら、無理にがんばらないこと。

 

結局、この言葉に収まる。

「ゆっくり休んでね」ってこういうことなのか。

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おはる

 

 

 

心を支えたい。

 

自分の行動や感情に目を向けてみると、

思っていた以上にいろんなことを思ったり考えていていた。

 

けれども、その内容が果たして

今、考えるべきことなのか

そうではないのか、もしくは、

手放したほうがよいことであるかは

はまた別の話で、

 

その取捨選択が難しいなあって思った。

 

「心は、刺激が強い方に反応する」

て、あるヨガの先生が言っていた。

 

心に身を委ねすぎると、

本来考えるべきこと、解決すべきことから

どんどん離れていってしまう。

 

そうすると、自分が描いている

理想の自分から離れてしまうなって。

 

たしかに、心は楽しい方向へと進むなって。

 

こんなのあったらいいのになあ、とか、

こんな風になりたいなあ、とか。

楽しくて明るい未来ばかりを見つめる。

 

その裏には、きっと見たくない現実があって。

 

だから、「今、なにをすべきか」

が抜けてしまう。

 

もちろん、夢は大事だ。

 

でも、夢を見つつも、

それを現実に落とし込む作業をしなくてはいけないって気づいた。

 

それは、心や感情に委ねていたらできないこと。

 

自分で意識的に、

「心」を誘導してあげないとね。

 

自分自身の人生を切り開くって

そういうことなんだろうなあって。

 

なかなかわたしの心は自由で好奇心旺盛で

これをコントロールするのがかなり難しい。

 

だからこそ、上手に付き合っていきたいなって思ってる。

 

心に振り回される自分ではなくて、

自分が心を支えてあげられるような存在になりたい。

 

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 おはる

 

「気づいたら」の世界。

 

最近、自分の行動に説明ができない自分がいることに気付いた。

もちろん、すべてではないが、指摘されて振り返ってみたときに

 

「、、、、、あれ。」

「??????」

 

しばらく、沈黙が続いて、最終的に頭のなかに「?」が浮かぶ

 

なぜだかわからない。

なにかしら考えていたはずなのに、なにを考えていたのか思い出せない。

 

考えていなかったんだな、わたし。

 

かなり、ショッキングな出来事だった。

 

「気づいたら」

という言葉でいろんな物事を説明できてしまうことに気付いて。

そのとき、急に怖くなった。

 

気づいたら、時間が過ぎていた。

気づいたら、食べ過ぎていた。

気づいたら、病気になっていた。

 

もちろんポジティブな意味で使われることもある。

 

気づいたら、成功していた。

気づいたら、夢が実現していた。

 

 

でも、そのときは、 

「気づいたら、もう遅かった。」

ってなりかねない。そんなの絶対いやだ。

 

と、心の中で叫んでいる自分がいた。

 

 

全て自分自身に起こっている出来事なのに、

「気づいたら」って

他人事みたいで、なんだか無責任に感じてしまった。

 

ほとんどすべてのことを説明できてしまうこの言葉を、

私は使いたくない、って思った。

この言葉で片づけたくない、と思った。

 

素直に怖くなっていた。

 

自分の意志を持って、自分の人生を歩みたい。

 

その気持ちを尊重したいからこそ、

 

過去の自分がまるでなにもなかったかのように

変えてしまう言葉は、私の中では封印しようと。

 

だから、私は自分の行動を観察しようと決めた。

 

私は日々なにを考え、行動しているのか。

どんな言葉を発しているのか。

 

観察をし始めてまだ日も浅いが、

 

ひとつ言えることは、

自分の観察って想像以上に難しいということ。

 

 

けれども、「気付いたら」の恐怖を味わいたくないから、

続けてみると決めた。

 

こつこつがんばるぞ。

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2017.9.27

おはる

 

 

 

「呼吸」は「伝える」こと。

 

最近、呼吸のすごさを実感している。

 

一回一回呼吸って変わっていって。

身体のいろんなところに動きが生まれる。

面白い。

 

呼吸が動きを作るんだ、ってことが

少しずつ感覚でわかるようになってきた。

 

そんなときに、そもそも呼吸ってなんなんだろうって。

そんな根本のところに興味をもって調べたら

「吸うを呼ぶ」行為を表していたことを知った。

 

吸うためには、吐かないといけない。

つまり、呼吸は「吐くこと」を導くことだといえる。

 

当たり前に見ていた漢字の意味を考えたこともなかった。

これまでは単純に、

吸って、吐いて、の繰り返しが「呼吸」のイメージだったから、

不思議な感覚に襲われた。

 

たしかに、人は亡くなるとき、息を引き取る、という表現をする。

つまり、息を吸って最期を迎える。吸いきって、もう吐かない。

 

これを知ったとき、生命を維持する「呼吸」ってすごいなって思ったし、

今までの呼吸がいかに「呼吸」できていなかったか痛感した。

 

そしてなにより、息を吐くことへ意識が向くようになった。

 

よく「深呼吸しましょう」って言われる。

深い呼吸を意識しようとしていたけれど、意識すればするほど、なんか苦しくなる自分がいた。

 

それもそのはず。

たくさん空気を取り込むぞー!って思って、意識的に吐くことをしていなかった。

だから、苦しかった。

深呼吸は深く呼吸をすること。

つまり、深く吸うためには、まず深く吐かなければならない。

 

「現代の人は吐くことを苦手としている」とヨガのインストラクターの方が言っていた。

 取り込んでばっかりで、出すことを忘れているそう。

 

なるほどなあ、と思った。

これって呼吸だけじゃなくて日常生活でもそうなのかな、って。

 

いろんな情報、知識を取り入れることに一生懸命で、もしくは、満足して、

それをアウトプットとして出すことを忘れがちなのかな、って。

 

このアウトプットとは、

ただインプットしたことをそのまま出すのではなくて、

一度身体に取り込んで、そこで体中を巡って、

その人の性格や個性が入った「考え」が出来上がった

アレンジされたものを指している。

そして、それを外に吐き出すこと。それが、アウトプットだと思っている。

 

この呼吸の話を知ったとき、

自分自身へのメッセージにも聞こえた。

 

吐き出すこと。

つまり、自分の意思や考えを伝えること。

 

呼吸は、吐くためにある。

つまり、自分を伝えること、って言い換えられるかな。

 

呼吸は、外の世界と中の世界とコミュニケーションをとっていると考えたら

吐き出すことの大切さがわかった。

伝えなきゃわからないからね。

 

 

知識や情報は、自分の考えを持つために取り入れる。

自分という人間を作るために取り入れる。

そして、最終的に伝えるために取り入れる。

のかなあ、って。

 

たしかに、持っているだけでは苦しくなるだけなんだなあって。

 

自分自身の思いや考えを伝えること。

これ、大事だな。

 

おはる

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セブンシスターズにて

自分の教科書を創る。

 

 

「気づき」は、

自分の「人生の教科書」を作る。

 

って思った。

 

気づきの積み重ねが「生き方」を創って、

「人生」となるから。だから「人生の教科書」。

 

教科書だから必要なときに振り返って、

解き方を教えてくれる。自分を導いてくれる。

 

この「教科書」は自分自身の気づきで作られているから

 

今まで見たもの、聞いたもの、触れたもの、感じたもの

すべて過去の自分から作られているから

 

身体の中に染み込んでいて、

 

だから、この教科書は信じられる。

 

そして、

自分に自信を持たせてくれる。

 

自分がこれまで積み上げてきたことを大切にして

それを見てあげる。

 

自分がやってきたことに変わりはないから、

自分がやってきたことは信じられるよね。

 

自分自身を見て気づいてあげること。

その積み重ねが「自分が信じられるもの」=「自信」になる。

 

過去の自分を大切にすること。

それが、自信を持つための第一歩。

 

周りの波に飲み込まれずに、

変わらない自分を見てあげる。気づいてあげる。

 

まずは、今日の自分から意識的に見てあげよう。

未来の自分が気づきやすいように。自信を持てるように。

 

そして、自分の教科書を創っていこう。

未来の自分が過去の自分に感謝できるように。

 

そんな行動を積み重ねる。

 

なんだか、前向きになれた。

 

おはる。

 

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「忙しい」ってなんだろう。

 

自分と向き合うためのブログが

全然書けていなかった。

 

自分の中から言葉がでてこなかった。

 

「忙しい」って

心を亡くすと書く。

 

 

言葉が生まれない=考えていない

=時間がない=目の前のことに追われている

=心が自分に向けられない=心が外に向かっている

ってことなのかな。

 

自分のふとした考えが浮かばない、

言葉がでてこない。

これが自分の心がない状態。

 

つまり、「忙しい」ってことなのかな。

 

自分の時間をどう使うか。

もう少し考えてみよう。

 

自分に与えられた時間。

自分が心地よく過ごせる時間にしてあげよう。

 

変化し続ける外の世界と、変化しない自分自身と

どっちにも心を向けて調和をとること。

 

これが、私のチャレンジしたいこと。

できるようになりたいこと。

 

さあ、今日から9月だ。

 

気づきが多い月にしたいなあ。

今日は朝部屋の片づけができたから

心が少しすっきりした^^

 

おはる

 

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写真はひいおばあちゃんのお家に咲いていた睡蓮。

 

 

命を救う医療と、自己治癒力を導く医療

 

最近見つけた興味深いトピック。

 

それは、「西洋医学と東洋医学の違い」です。

 

最近、胃の不調で体調が崩すことが多く、

私って胃が弱いのかな~と調べていたときに、

西洋医学と東洋医学の治療の違いの記事を

見つけました。

 

 

西洋医学では、治療の際「病の症状」に着目して治療をするそうです。

 

胃腸で例えると、

胃の粘膜は正常か、とか、胃で消化はされているか、等を見ます。

なので、治療も胃の粘膜を正常に戻す薬や、消化を助ける薬など

原因を取り除く薬が処方されます。

 

一方で、東洋医学は、治療の際「身体の状態」に着目して治療をするそうです。

 

同じく、胃腸で例えると、

内臓の働きはどうなっているのか、と見ていくそうです。

痛みのある胃だけでなく、すべての内臓を調べるそうです。

そして、根本の原因を探していきます。

 

治療では、内臓の働きを正常に戻していく方法をとるそうです。

 

内臓の働きが正常に戻ると、身体の働きも整っていき、

治癒力が引き出されるからだそうです。

 

そのため、

西洋医学は、「命を救う医療」

東洋医学は、「自己治癒力を導く医療」

と言われているそうです。

 

同じ医学でもアプローチの仕方がこんなにも違うことに

とっても驚きました。

 

なぜなら、私は今まで「医療」=「西洋医学」

の視点しかもっていなかったからです。

 

そのため、この考えを知ったとき

この二つの視点を取り入れることで、

健康に過ごせる人が今よりも増えるのではないか、

と思いました。

 

私がこれから学ぶヨガの中の一つに「アーユルヴェーダ」があります。

 

アーユルヴェーダ東洋医学の三大伝統医学の中の一つで、

「生命の科学」と言われています。

 

調べてみると、アーユルヴェーダ

病気そのものを見るのではなく、

個人にあった方法で自然治癒力を高めていき

心と身体のバランスを整えていく医学だということがわかりました。

 

生活全体に働きかけ、健康や長寿を追求していくのです。

 

なんだか、面白くなりそうです。

 

なぜなら、今まで視点としてもっていなかった

東洋医学」の考え方を学んでいけるからです。 

 

病気を治すための医療と、

健康を追求するための医療。

 

 

この二つを、

生活の中で使い分けて取り入れられたら

もっと素敵な世の中になるのではないか、と思いました。

 

命にかかわることだったら、

症状を取り除くことが最優先。

だから、西洋医学を選択する。

 

一方、風邪や熱などは、

身体の不調からくることが多い。

だから、症状を取り除くのではなく、

根本の原因を見つけることで、

今後の生活にも生かせる治療をしたい。

だから、東洋医学を選択する。

 

こんな風に症状やその度合いに応じて、

選択していけたらいいな、と思いました。

 

これから、高齢化を最先端を走る日本に

健康寿命」が重要になってくると思っています。

 

今や、社会保障費の増大によって財源不足に陥っており、

安定的な財源確保が求められています。

 

それを救う一つに東洋医学があるのかもしれない、

と思いました。

 

アーユルヴェーダ

 

・病気にならないようにする

・健康な人をさらに健康にする

・病気を治す

 

働きかけをします。

 

生活全体にアプローチすることで、

普段から健康に気を使う人が増え、

心も身体も健康な人が増えるのではないでしょうか。

 

健康な人へインセンティブを与える、

というような提案が国でもされていますが、

その考え方ももしかしたら

西洋医学だけでなく、

自己治癒力や健康を導く東洋医学の視点も

取り入れていきたい、というメッセージとも

読みとれるのではないかと思いました。

 

多方面での「医療」が

浸透していくといいな、と思います。

 

これから、ヨガはもちろん、

アーユルヴェーダの勉強を進めていく中で、

考えを深めていきたいです。

 

なにか見えてきたらいいな。

 

 画像:https://ayurveda.jp/