おはるのブログ

自分と向き合うためのブログです。

「呼吸」は「伝える」こと。

 

最近、呼吸のすごさを実感している。

 

一回一回呼吸って変わっていって。

身体のいろんなところに動きが生まれる。

面白い。

 

呼吸が動きを作るんだ、ってことが

少しずつ感覚でわかるようになってきた。

 

そんなときに、そもそも呼吸ってなんなんだろうって。

そんな根本のところに興味をもって調べたら

「吸うを呼ぶ」行為を表していたことを知った。

 

吸うためには、吐かないといけない。

つまり、呼吸は「吐くこと」を導くことだといえる。

 

当たり前に見ていた漢字の意味を考えたこともなかった。

これまでは単純に、

吸って、吐いて、の繰り返しが「呼吸」のイメージだったから、

不思議な感覚に襲われた。

 

たしかに、人は亡くなるとき、息を引き取る、という表現をする。

つまり、息を吸って最期を迎える。吸いきって、もう吐かない。

 

これを知ったとき、生命を維持する「呼吸」ってすごいなって思ったし、

今までの呼吸がいかに「呼吸」できていなかったか痛感した。

 

そしてなにより、息を吐くことへ意識が向くようになった。

 

よく「深呼吸しましょう」って言われる。

深い呼吸を意識しようとしていたけれど、意識すればするほど、なんか苦しくなる自分がいた。

 

それもそのはず。

たくさん空気を取り込むぞー!って思って、意識的に吐くことをしていなかった。

だから、苦しかった。

深呼吸は深く呼吸をすること。

つまり、深く吸うためには、まず深く吐かなければならない。

 

「現代の人は吐くことを苦手としている」とヨガのインストラクターの方が言っていた。

 取り込んでばっかりで、出すことを忘れているそう。

 

なるほどなあ、と思った。

これって呼吸だけじゃなくて日常生活でもそうなのかな、って。

 

いろんな情報、知識を取り入れることに一生懸命で、もしくは、満足して、

それをアウトプットとして出すことを忘れがちなのかな、って。

 

このアウトプットとは、

ただインプットしたことをそのまま出すのではなくて、

一度身体に取り込んで、そこで体中を巡って、

その人の性格や個性が入った「考え」が出来上がった

アレンジされたものを指している。

そして、それを外に吐き出すこと。それが、アウトプットだと思っている。

 

この呼吸の話を知ったとき、

自分自身へのメッセージにも聞こえた。

 

吐き出すこと。

つまり、自分の意思や考えを伝えること。

 

呼吸は、吐くためにある。

つまり、自分を伝えること、って言い換えられるかな。

 

呼吸は、外の世界と中の世界とコミュニケーションをとっていると考えたら

吐き出すことの大切さがわかった。

伝えなきゃわからないからね。

 

 

知識や情報は、自分の考えを持つために取り入れる。

自分という人間を作るために取り入れる。

そして、最終的に伝えるために取り入れる。

のかなあ、って。

 

たしかに、持っているだけでは苦しくなるだけなんだなあって。

 

自分自身の思いや考えを伝えること。

これ、大事だな。

 

おはる

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セブンシスターズにて

自分の教科書を創る。

 

 

「気づき」は、

自分の「人生の教科書」を作る。

 

って思った。

 

気づきの積み重ねが「生き方」を創って、

「人生」となるから。だから「人生の教科書」。

 

教科書だから必要なときに振り返って、

解き方を教えてくれる。自分を導いてくれる。

 

この「教科書」は自分自身の気づきで作られているから

 

今まで見たもの、聞いたもの、触れたもの、感じたもの

すべて過去の自分から作られているから

 

身体の中に染み込んでいて、

 

だから、この教科書は信じられる。

 

そして、

自分に自信を持たせてくれる。

 

自分がこれまで積み上げてきたことを大切にして

それを見てあげる。

 

自分がやってきたことに変わりはないから、

自分がやってきたことは信じられるよね。

 

自分自身を見て気づいてあげること。

その積み重ねが「自分が信じられるもの」=「自信」になる。

 

過去の自分を大切にすること。

それが、自信を持つための第一歩。

 

周りの波に飲み込まれずに、

変わらない自分を見てあげる。気づいてあげる。

 

まずは、今日の自分から意識的に見てあげよう。

未来の自分が気づきやすいように。自信を持てるように。

 

そして、自分の教科書を創っていこう。

未来の自分が過去の自分に感謝できるように。

 

そんな行動を積み重ねる。

 

なんだか、前向きになれた。

 

おはる。

 

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「忙しい」ってなんだろう。

 

自分と向き合うためのブログが

全然書けていなかった。

 

自分の中から言葉がでてこなかった。

 

「忙しい」って

心を亡くすと書く。

 

 

言葉が生まれない=考えていない

=時間がない=目の前のことに追われている

=心が自分に向けられない=心が外に向かっている

ってことなのかな。

 

自分のふとした考えが浮かばない、

言葉がでてこない。

これが自分の心がない状態。

 

つまり、「忙しい」ってことなのかな。

 

自分の時間をどう使うか。

もう少し考えてみよう。

 

自分に与えられた時間。

自分が心地よく過ごせる時間にしてあげよう。

 

変化し続ける外の世界と、変化しない自分自身と

どっちにも心を向けて調和をとること。

 

これが、私のチャレンジしたいこと。

できるようになりたいこと。

 

さあ、今日から9月だ。

 

気づきが多い月にしたいなあ。

今日は朝部屋の片づけができたから

心が少しすっきりした^^

 

おはる

 

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写真はひいおばあちゃんのお家に咲いていた睡蓮。

 

 

命を救う医療と、自己治癒力を導く医療

 

最近見つけた興味深いトピック。

 

それは、「西洋医学と東洋医学の違い」です。

 

最近、胃の不調で体調が崩すことが多く、

私って胃が弱いのかな~と調べていたときに、

西洋医学と東洋医学の治療の違いの記事を

見つけました。

 

 

西洋医学では、治療の際「病の症状」に着目して治療をするそうです。

 

胃腸で例えると、

胃の粘膜は正常か、とか、胃で消化はされているか、等を見ます。

なので、治療も胃の粘膜を正常に戻す薬や、消化を助ける薬など

原因を取り除く薬が処方されます。

 

一方で、東洋医学は、治療の際「身体の状態」に着目して治療をするそうです。

 

同じく、胃腸で例えると、

内臓の働きはどうなっているのか、と見ていくそうです。

痛みのある胃だけでなく、すべての内臓を調べるそうです。

そして、根本の原因を探していきます。

 

治療では、内臓の働きを正常に戻していく方法をとるそうです。

 

内臓の働きが正常に戻ると、身体の働きも整っていき、

治癒力が引き出されるからだそうです。

 

そのため、

西洋医学は、「命を救う医療」

東洋医学は、「自己治癒力を導く医療」

と言われているそうです。

 

同じ医学でもアプローチの仕方がこんなにも違うことに

とっても驚きました。

 

なぜなら、私は今まで「医療」=「西洋医学」

の視点しかもっていなかったからです。

 

そのため、この考えを知ったとき

この二つの視点を取り入れることで、

健康に過ごせる人が今よりも増えるのではないか、

と思いました。

 

私がこれから学ぶヨガの中の一つに「アーユルヴェーダ」があります。

 

アーユルヴェーダ東洋医学の三大伝統医学の中の一つで、

「生命の科学」と言われています。

 

調べてみると、アーユルヴェーダ

病気そのものを見るのではなく、

個人にあった方法で自然治癒力を高めていき

心と身体のバランスを整えていく医学だということがわかりました。

 

生活全体に働きかけ、健康や長寿を追求していくのです。

 

なんだか、面白くなりそうです。

 

なぜなら、今まで視点としてもっていなかった

東洋医学」の考え方を学んでいけるからです。 

 

病気を治すための医療と、

健康を追求するための医療。

 

 

この二つを、

生活の中で使い分けて取り入れられたら

もっと素敵な世の中になるのではないか、と思いました。

 

命にかかわることだったら、

症状を取り除くことが最優先。

だから、西洋医学を選択する。

 

一方、風邪や熱などは、

身体の不調からくることが多い。

だから、症状を取り除くのではなく、

根本の原因を見つけることで、

今後の生活にも生かせる治療をしたい。

だから、東洋医学を選択する。

 

こんな風に症状やその度合いに応じて、

選択していけたらいいな、と思いました。

 

これから、高齢化を最先端を走る日本に

健康寿命」が重要になってくると思っています。

 

今や、社会保障費の増大によって財源不足に陥っており、

安定的な財源確保が求められています。

 

それを救う一つに東洋医学があるのかもしれない、

と思いました。

 

アーユルヴェーダ

 

・病気にならないようにする

・健康な人をさらに健康にする

・病気を治す

 

働きかけをします。

 

生活全体にアプローチすることで、

普段から健康に気を使う人が増え、

心も身体も健康な人が増えるのではないでしょうか。

 

健康な人へインセンティブを与える、

というような提案が国でもされていますが、

その考え方ももしかしたら

西洋医学だけでなく、

自己治癒力や健康を導く東洋医学の視点も

取り入れていきたい、というメッセージとも

読みとれるのではないかと思いました。

 

多方面での「医療」が

浸透していくといいな、と思います。

 

これから、ヨガはもちろん、

アーユルヴェーダの勉強を進めていく中で、

考えを深めていきたいです。

 

なにか見えてきたらいいな。

 

 画像:https://ayurveda.jp/

やっと、おかゆが食べられた!

 

今日の朝、

やーーーっとお米を食べることができた。

とはいっても、おかゆだけど。

 

前日に薬をもらって飲んでから、

調子がよかったから、

明日の朝はおかゆだ!!!

と決めていた。

 

ほぼ水分(スポドリor OS-1)と

たまーにりんごとプリン生活だったから、

しょうゆ味が恋しくて恋しくて。

恋しくてたまらなかった。

 

昨日の夜は、明日やっと食べられる!と

次の日遠足があるのか、というくらい

自分でもびっくりするほどわくわくしていた。

 

クックパッドでおかゆの作り方を調べ、

頭でシュミレーションしながら床に就いた。

 

今月の3日の夜から38度台の熱を出し、

39度まで上がり続けた。

それと同時にこれまでにない頭痛と腹痛があったため

病院に行くと、急性胃腸炎と診断された。

 

記憶上だと中学生以来の高熱。

初の胃腸炎

 

 

急性胃腸炎って、

ほぼ絶食生活なのです。。

 

インフルエンザになっても、

食欲は落ちない子だったので

こんなに食べられないのは人生で初。。

辛い道のりが待っていた、、、

 

水分だけはしっかりとって、

あとはひたすら安静にして寝る。

特効薬はない、、、

 

というわけで、ほぼ絶食生活を

三日ほど続けていた。

その中でもかろうじて食べられたのは、

すりおろしのりんごとプリン。

 

だからからか、

無性にお米と醤油味が恋しくなり、

我慢できなくなっていた。

 

薬をもらってだいぶお腹の調子が良くなっていたから、

明日は絶対おかゆにするぞ!と気合を入れていた。

 

今日の朝は、昨日のシュミレーション通り、

おかゆをつくって食べた。

 

なんておいしいんだ。。。

口にいれた瞬間、おいしさに感動した。

「おいしい」が体中に溢れた。

 

味付けはシンプルにつゆの素と卵。

この醤油ベースの味付け、

私がまさに求めていた味だった。

この味だよ、、、と思った。

 

食べることに若干恐怖心もあったから

ちびちび食べてたけど、無事完食。

幸せな食事の時間だった。。

 

こんなにもシンプルなおかゆだったけれど、

こんなにも幸せって感じるんだね。

普段よりもずっと質素な食事なのに。

こんなにも幸せだと感じたのは初めてだった。

 

約3日ほとんど食べられない期間を経験したからこそ、

 

食事ができることへのありがたみを本当に実感したんだと思う。

食べれるってすごいんだ!って。

 

心と身体の共同作業なんだなって。

普段意識しない心と身体、という二つの存在を実感した。

 

普段なら、自分の脳からの欲求で食べ物を食べても、

身体は、なにも言わずに消化してくれる。

 

だから、脳はその身体のがんばりに気づきにくい。

そのために、身体がどういう状態なのか、ってことを意識せずに

自分の脳からの欲求で食べてしまいがちだ。

 

口の中で感じる味、触感から得られる快感で

食事って選びがちかもしれないけれど、

(もちろん栄養とかカロリーも気にするとは思うけど)

 

こうやって身体が食べ物を拒絶するようになると、

自分が単に食べたいものではなく

「これだったら大丈夫かな」と、

自分の身体が受け入れてくれそうな食事を選ぶようになる。

 

味とか、カロリーとかそれだけではなくて、

身体に取り入れようとしている

「素材」だったり、その「性質」だったりを基準にして。

消化しやすいかな、とか。

 

こうして、食べられない期間を経験して、

食事への意識が、より一層高まったなあと思う。

 

腸炎が治って、今まで通り食事ができる状態になったとしても

これからも、身体が喜ぶ食事を心がけたいなって。

食べたあとの身体の状態を意識して食事をとったら

もっと食事が豊かなものになりそうだな。

 

まだ、完全に治ったわけではないので、はやく治せるようにがんばります。

でも、文章を書きたいと思えるくらいまで復活してきました^^

 

2017/8/8

おはる

※TOP画像は、卵好きな私が卵とツーショットを撮ろうと頑張って自撮りしているところを撮影されたものです。

日本人でいられること。

 

日本の自然、四季、文化、そして食べ物。

 

これを感じて味わって暮らしている日本人って

どれくらいいるんだろう。

 

日本には、この四つがそろっている。

世界では有数の珍しい国だという。

 

そのため、観光の面において

可能性に秘めている、といっていた。

 

 

ダイヤモンドの原石はあるのに、

磨いてないために見た目は石のまま、

というもったいない状態と同じ

といえるのかな。

 

これを聞いたとき、

なぜ、可能性があるまま

残ってしまっているんだろう、と思った。

 

でも、そして、それはきっと、

これらを感じ、味わっている

日本人が少ないからなんだろうな、と感じた。

  

 

磨きをかける人は、本来ならばそれを一番近くで

毎日味わい感じられる私たち日本人。

 

 

でも、気づかない。

だから、「可能性」「ポテンシャル」という

言葉を使って、希望を持って、

だから、「可能性」がそのまま残るのかな。

 

世界からいろんなものが集まるようになった

現代の日本に「日本本来のよさ」を感じる瞬間って

めったにないのかもしれない。

 

四季や文化、自然を伝える架け橋となるはずの「食べ物」の

日本の食料自給率は40%を切る。

 

日本を代表するお米の消費量は年々減少している。

お米を食べなくなるということは、

自然とそれと食べ合わせるものも

変わってくるということだ。

 

四季や文化、自然を伝える「日本の食べ物」

が日本人から離れていく。

 

いろんな国からいろんなものが入ってくるのは

「多様性」を受け入れるという意味で

いいことだと思う。

 

でも、同じ「多様性」を受け入れるにしても、

自分たちの国を知って受け入れるのと、

知らずに受け入れるのとでは

違うのではないかと思う。

 

自分に優しくなれるからこそ、

周りの人にも優しくなれる。

これと同じ原理なんじゃないかな。

 

自分たちの国を知り、受け入れるからこそ、

他の国の考え方やものを受け入れられる。

 

認識することで、

自分と自分以外をわけて考えることができる。

 

自分は自分としていられることに誇りや自信を持てるからこそ、

自分以外の人やものも受け入れられる広い心がもてるんじゃないかな。

 

 

そう考えたとき、

日本には日本を意識して生活している人が

どれくらいいるのかな、と思った。

自分も含めて。 

 

自分を認識しないからこそ、

自分以外も認識しにくくなるのかな。

 

だから、「無意識」のうちに

いろんなものに侵食されるのかな。

 

最近は、そんなことを考えている。

 

 

「日本には四季も自然も文化も食事もある。

だから、それを世界に発信しよう」

 

観光を考えるときに、よく耳にする言葉だ。

 

間違っていない。

でも、ちょっと待って、と思う。

 

世界に発信することも大事。

 

でも、その前に大事なことがあると思う。

 

それは、日本のよさに気付き、それを味わい、

そして、それを伝えたい、と強い思いを持つ

日本人を育てることなんじゃないかな、って。

 

そうすることで、観光の在り方も

変わってくるのではないか、と思うし、

その影響は観光の面だけで収まらないと思う。

 

 

私は、せっかく日本人に生まれたんだから、

日本人であることに自信や誇りを持って、

生きていきたいって思う。

 

そして、自分だけでなく、

そういう風に思う日本人が

増えていってほしいな、って思う。

 

なぜなら、世界的に見ても恵まれている国で、

海外から高い評価を受けているのにもかかわらず、

 

それに気づかず生活しているなんて

もったいないと思うし、

日本という国に失礼な気がするから。

 

 

日本人が日本人であることを自覚し、

日本人でいられることに感謝の気持ちと

誇りを持てるようになったら、

きっと「地方創生」もうまく行く気がするんだなあ。。

 

日本人でいられること。

日本人としての私。

 

なんだか、考えさせられる。

 

おはる

ヨガとあくび。

 

ヨガのレッスン中、

時々あくびが止まらなくなるときがある。

 

今日もそうだった。

 

早起きして、

軽くストレッチして、

少しずつ身体のスイッチが入ったところで

朝のヨガのクラスを受けた。

 

移動中も、朝の時間も

あくびがでることってほとんどないのに、

ヨガのクラスの中では自然とあくびがでてきて、

なんでだろう、、、と思っていた。

 

集中してやっているはずなのに。。。

 

自分集中できていないのかな。。

という考えが頭に浮かんできたので

 

そこで「ヨガ あくび」と調べてみた。

 

 

すると、興味深い記事が見つかった。

 

あくびは身体がリラックスしている証拠だという。

 

そして、デトックス効果もあるんだそう。

 

たしかに、ヨガのクラス中は

呼吸に意識を向けて、

身体を緩ませたり、伸ばしたりする。

 

身体全体に新鮮な空気が行き渡り、

身体全体が浄化される感覚を得る。

 

普段の呼吸の中では吐き出せない

奥底に眠る古い空気を身体の外へ逃がし、

新しい空気を取り入れ身体に巡らせる。

 

 

だからか。

あくびをすると、たくさんの空気を取り入れられる。

 

そして、たくさんの空気を吐き出せる。

 

身体の循環をよくするために

あくびがでているのか!と

自分の中に新たな発見を得られた。

 

あくびに対するイメージが変わった。

 

あくびがでるということは、

身体を緩めることができるという指標であり、

 

私がヨガをやっている理由の一つにある

「心が落ち着いてリラックスできるから」

に直結している現象そのものだったから

なんだかうれしかった。

 

心も身体も

リラックスできていることがわかって一安心。

 

そして、実はあくびってすごかったんだ!

 

あくびと上手に付き合っていきたいな、と

思った日曜日の夜でした。

おはる