おはるのブログ

自分と向き合うためのブログです。

5月に学んだこと。

 

 

それは、自分を休ませてあげることだ。

 

5月は風邪や胃痛、肋骨の痛みに襲われた。

身体が思うように動かず、

ヨガもインターンもお休みをし、

いろんな約束もキャンセルさせてもらった。

 

こんなことは今までなくて、

「休むこと=悪いこと」と植えつけれていた自分は

休むこと自体に罪悪感を感じ、申し訳なく思っていた。

 

胃痛と肋骨は、ストレスが原因と考えられるから、

無理せず休むように、と病院の先生にも言われたのに

休んでいる自分にイライラして、

むしろこのイライラで

ストレスで悪化させてしまうのではないか、

と思うようになった。

 

心が弱っているときに、

自分のエゴが心をさらに攻撃して

 

辛い状況を創り出していた。

 

心が弱っているのはいろんな要素があったから、

まずは、心をより弱らせようとしている

自分の「休む」に対する意識を変えようと思った。

 

どうしたら身体だけでなく心も「休む」ことができるのだろうか。

 

そんなときに出会った印象に残った言葉が二つある。

 

自分の身体からの声に耳を傾け、

自分のために「休む」ことを選択した自分に誇りを持つこと。

 

これは、自分の選択に自信を持つことだ。

そして、選択した自分の時間を最大限有効活用すること。

 

結果、その選択をしてよかった、と思うこと。

 

人生は、自分が選択した時間で生きているんだから、

その選択した時間を最大限に使うことに

集中すればいいんだ、って思えるようになった。

 

 

「しなければいけない」ではなくて「したほうがいいな」マインドを持つこと。

 

「なぜ、しなければならないのか?」

誰のための「しなければいけない」なのか?

 

こんなことを考えていたら、

知らない間に意識が「自分以外」に向けられていていることに気付いた。

 

そうしたら、今は「自分」のために時間を

使ったほうがいいと自分の身体が言っているんだから

 

この「しなければいけない」は

自分のための「しなければならない」じゃないんだ、

と切り分けて考えられるようになった。

 

もう少し踏みこんで書くならば、

今は、自分のための「しなければならない」

を優先するときなんだから、

自分のために時間を使わなきゃね、って自分を納得させる。

 

この2つを意識し始めたら、

「休む」を次第に受け入れられるようになってきた。

 

まさか自分が「休む」についてこんなに悩み苦しむとは、、、

思っていなかった。。。

 

立ち止まり、考える経験をして、また、少し成長できたかな。

 

体調崩すまで頑張ってくれて、

そして、自分自身に気づきを与えてくれた身体と

支えてくれる人に感謝しようって思った。

 

今後は、自分の限界をある程度わかったから

体調を崩す前に適度に「休む」ことを覚えていけたらいいなあ。

 

「手」じゃなくて、「力」の抜き方

学んでいきたいな。

 

 

 

自然に身をおくと心が落ち着くなあ。

自分の気持ちに素直に生きていきたい!

って 思えた瞬間。

 

おはる

バレエと向き合って感じること


バレエってすごい力を持っているなあ。

 

久々に踊ると心が喜んでいるのがわかる。

自分自身の内側にあるものを、
外の世界に向かって解き放つ感覚。

 

いろんな制限から解放されて、
自分の感性から作り出される

想像の世界が広がる。

 

自分の感覚を頼りに
音楽と「自分」を調和させて
想像の世界ををカタチにしていく。

 

言葉にならない「何か」を生み出せる

喜びを味わえる。

 

心に栄養を与えているなって思う。

 

やっぱりバレエっていいな。
心がきれいなる感覚を味わえる。

 

でも。

 

なんでもそうだけど、
なにかをやればやるほど
欲というものがでてきて。

 

こんな踊りしたい、こんな表現したい、とか
向き合えば向き合うほど

ほしいものがでてくる。


自分のできないところが見えてくる。

 

そのできないところを埋めて、
自分の表現を追求していくことが目的なのに

 

埋めていくことで精一杯になって

本来の自分の「表現」の追求を忘れがちになってしまう。

 

表現のための土台が、
土台で終わってしまっては辛いだけだ。

 

表現=心
土台=身体

 

このバランスを取ることが大切だなって

最近バレエのレッスンを受けると感じる。

 

昔はこのバランスが崩れて、
自分を苦しめていたなあって思う。

 

今、こうやって月に2回くらいだけど
バレエの時間を持ててるからには、
できるだけこのバランスを崩さずに
やっていきたい。


そうすることで、
長くバレエと付き合っていけそう。

 

でも、不思議だ。
昔はできなかったフェッテのダブルとか
ピルエットのトリプルとか、

圧倒的に練習量は少ないのに、

挑戦する自分がいる。
できてしまう自分がいる。

 

やってみよう、と挑戦する心を
持つか持たないかで
身体の動き方も変わってくるんだなって思った。

 

だから自分自身の思考に

制限をかけないようにしたいな〜〜 。

 

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おはる

 

感動の分かち合い。

 

 

 

地方に関心を持ち始めた理由。

 

大学1年で取り扱った本「地方消滅」がきっかけだ。

 

その本で、日本にも多くの課題があることを知った。

日本人なのに、日本のことを知らない自分にショックを受けた。

 

その反面、本の中でこうした課題のある地域は

地域資源が豊富にあることを知った。

とはいっても、まだ開かれていない資源だ。

資源を資源だと認識していない資源だ。

 

その本の中では、限界集落といわれていた過疎地域で、

課題を「強み」に変えている事例を見た。

住民に活力が生まれ、地域にも活力が生まれていく、

そんな事例を見た。

私は純粋にこうしたことをしたい、と思った。

まだ開かれていない資源に磨きを加えて、

課題をその地域の「価値」にしていく。

 

まだ出会ったことのない日本に出会える気がした。

そして、その地域と住む人たちが

変わっていく姿に「課題地域」の可能性を感じた。

わくわくした。

 

だから、日本をもっと知りたいと思った。

これまで、漠然と世界で活躍したい!と思っていた自分から反転。

地域政策コースを選んだ。

 

日本人だから、日本のためになりたいな、って。

日本があってこその、世界なのかなって。

だから、視点を日本に移した。

 

まだ開かれていない資源に気づいたときの喜び、

そして、それを地域の人たちと分かち合うときの喜び、

そして、それを次は

地域の外からきた人たちに知ってもらったときに生まれる喜び。

 

いろんな感情に出会えるのかな。

 

課題がたくさんあること。

それは、つまり、感動の生まれる場が

たくさんあることでもあるのかなって思っている。

 

 地方には感動のポテンシャルが詰まっている。

この感動のポテンシャルをカタチにしていきたいな。

 

 

私自身が感じた地方の感動のポテンシャルも、

書けたらいいな。

前に投稿した「人の温かさ」もそのうちのひとつかな。 

さて、次に本題。

 

感動にこだわる理由。

 

感動を生みだす場って、

その深さにかかわらず、共通しているのは

両者がいい思いをすることだと思っている。

感情という名の「後味」が口の中に残る。

 

その後味が忘れられなくて、

また、味わいたい、と思って、

その場に戻ってきたり、そのとき出会った人に再開したり。

 

持続的なものへと変化するのかな、と思っている。

 

だから、「感動経験を生み出す」ことを

したいと思っているのかな、と思う。

 

今の世の中は、お金があればほとんどのものは手に入る。

 

「もの」と「お金」のやりとりで完結できてしまう。

直線的な関係。

そこに「人」が存在しない。

誰がどんな思いで作り、だれがどんな思いで受け取っているのか。

 

それが見えない。

 

だから、移り変わりが激しい。

感動も生まれない。もしくは、少ないのかな、と思う。

なんだかさみしい。

 

感動とは「深く物に感じて心を動かすこと」。

 

深く物に感じる。

それって表面的な情報だけだと難しい。

だから「お金」という指標で動かされる。

 

感動は、対象が心の中にないと生まれないと思う。

そして、心の中にそれに対する「共感」があって、

「感情が動く=感動」になるのかなと思っている。

 

だから、「もの」と「お金」の一方通行の関係ではなく、

「もの」の先と「お金」の先にあるものを大切にしたいと思う。

 

「人」という感情を持った人たちにまで広げて、

双方向にすることで、

「もの」や「サービス」に対しても、

なにか温かさを感じるものにならないだろうか。

 

直線道路ではないから早くはないけれど、

寄り道しながら、いろんな景色楽しんで。

だから、知らないうちに

お互いのことを知って、応援したくなる。

そんなイメージを思い描いている。

 

関係性が見えることで、

なにかが変わるのではないか、と思っている。

感動には、ものすごいパワーがあると思っている。

 

この感動のパワーの源泉のひとつに

「地方」があるのかな、と思っている。

実はもう一つあるけれど、

これはまたの機会にしよう。

 

こんな感動の場があって、

それがお互いで分かち合える

そんな場をつくっていきたいなあ。

 

そんなことをしたい、と思いながらも、

Howは見つかっていない。

 

 

だから、探究していこう。

 

 

はじめ勉強、という表現していたけれど、

「勉める」に「強いる」を書く

勉強は好きじゃないなあ、と思って、

 

勉強のポジティブないい方ないかな、と聞いてみたら

「探究でしょ!」って。

物事の本質を追究して見極めていくこと。

たしかに!いい言葉だ!

 

今度記事にしたいな、と思うものが

意外と多くて追いついていない気がしてきた。。

まあ、ゆったり自分と向き合うためのものだから

出来る範囲でやっていけばいいかな^^ 

 

おはる

大切にしたいこと。

 

 

志。夢。

私はいったい何を目指しているんだろうか。

 

そんなことを考えているときに、

明確な志ではないかもしれない。

明確な夢でもないかもしれない。

 

でも、

私には大切にしたいことがあることに気づいた。

 

そして、もしかしたら、

これが志や夢につながるかもしれない、と思い、

考えてみることにした。

 

私が大切にしたいことは、

「人々に感動経験をもたらすこと」だ。

 

なぜ、大切にしたいのか。

 

それは、それができたと感じたとき、

もしくは、やろうとしているとき、

自分自身の中に喜びや居心地のよさを感じるからだ。

 

この思いは、

約2年間のスターバックスのアルバイトをしていく中で

根付いた考えだと思っている。

 

そして、それが私の中で

大事なものになっていることに気づいた。

 

だから、

「感動経験」という表現は

スターバックスの表現を借りている。

まだ自分の言葉ではない。

だから、自分の言葉で表現できるようになりたいな、と思う。

 

先月、スターバックスを退職した。

物理的な問題もあったが、もうひとつ理由があった。

 

それは、スターバックスのビジョン

 

「一人ひとりのお客様の日常に心豊かで活力をもたらす瞬間を創り出します」

 

が本当に好きだったから。

 

このビジョンは「感動経験をもたらすこと」とつながっている。

 

なぜなら、感動経験をもたらすことで、

「一人ひとりのお客様の日常に心豊かで活力をもたらす瞬間を創り出します」

ということができると信じているからだ。

 

 スターバックスのビジョンが、

人生におけるビジョンといえるのかもしれない。

言い切れなくても、それに近いと思っている。

 

 

では、なぜやめてしまったのか?

 

それは次のミッションにある。

 

スターバックスは、

ひとりのお客様、一杯のコーヒー、そしてひとつのコミュニティから

をミッションに掲げている。

 

一杯のコーヒーをきっかけに、

人々を心豊かで活力のあるものにしていく。

 

わたしは、コーヒーの上に乗せるものを大切にする

スターバックスが好きだった。 

 

けれども、自分に置き換えたとき。

 

それは、必ずしも「コーヒー」ではないのかな、と思った。

 

「感動経験をもたらす」

そして、そこから

「心豊かで活力のある日常を創り出すこと」

 

それを、「自分」の持っている「なにか」から

実現してみたいと思った。

 

「なにか」は、まだわかっていない。

 

だからこそ、

「自分自身を高めて、それができるくらいになる」

っていう意気込みでいる。

 

まだ、思い描いている

理想の自分とは程遠い。

 

だからこそ、このちょっときつい過程を大切にして

味わいたい。

 

感動経験をもたらして、

心豊かで活力のある日常を創り出すこと。

 

これって志っていえるのかな?

夢といえるのかな?

 

確実にいえることは、

私が大切にしたいことであること。

 

だから、このイメージを持って、

「行動」というよりは「生活」していきたいな。

 

この感動経験をもたらすこと、を大切にしたいのは、

きっとスターバックスの力だけじゃなくて、

働いていた場所がベースだった、ということも大きいと思っている。

 

これはまた長くなりそうだから、

またの機会にしようかな。

 

こんな思いを創ってくれたスターバックス感謝したいな。

 

 

 

 

 

 

 

行動力より大事なもの。

 

「志や目標を、どう行動に移していきたいか」

 

こんな問いかけが山口研修の

オープニングセレモニーに向かうバスの中であった。

 

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「志」「目標」

あれ、わたしの志ってなんだろう。

目標ってなんだろう。

 

自分の中で明確な答えが出せなかった。

 

同時に、「志」と「目標」がはっきりして、

はじめて

信念のある「行動力」として現れるのではないか、

と思った。

 

そうか、なるほど。

なんだか妙に納得した。

 

これまでは、

好奇心の赴くままにいろんなこと手をつけて

楽しくやってきたけど、

 

自分の色が薄まっているような感覚は、

この「志」と「目標」が原因だったのか、

と感じた。

 

「自分の内側からの声を大切にしたい」

 

これは、前にも投稿していたけれど、

その内側からの声を洗練させていくと

それが強固な「志」と「目標」になるのかな、と思った。

 

明確な「志」と「目標」があれば、

 

「行動力」に悩むことはない。

 

「志」と「目標」は、

自分自身に向き合って出た結果であり、

それ自体が自分の生きる意味のようなもの。

 

だから、それさえ定めることができれば

きっと自分自身の行動に自信が持てて、

人生もより豊かになると思う。

 

大学三年生になって、

就活の情報がたくさん入ってくるようになった。

 

最近は目を通すようにもなったけれど、

いまいちぴんとこない。

 

そして、

一昔前までよく感じていた「焦り」が

でてきているようにも感じた。

 

追われるような感覚。

 

でも、就活も同じで、

自分の軸が定まらないまま進めていっても、

「自分」という人間が薄まる気がする。

 

周りに目が行ってしまって、

信念を持った「行動」が

できなくなってしまうのかな、とか。

 

 だから、

今、自分が持っているもので

価値を高める。

 

集中すること。

 

自分の中でなにを大切にしたいか優先順位を決めて、

それに向かって努力する。

 

それを意識したいと思った。

 

そうすると、

そこから道が開けていくのかな、とも思う。

 

「なにもかも」から

「これ」と「これ」と定めることで、

 

それと自分に向き合える時間が増えて、

 

方向性も定まっていくのかな、って思う。

 

きっとそういうのって、

他でも応用が利くのかな、とか。

 

これは自分が思っていることだから

本当かどうかはわからない。

 

だけど、私はそれを信じたいな。

 

これもいいかな、あれもいいかな、と

いろんなもの見て悩んじゃうより、

 

「わたしはこういう生き方をしたい」

と一本決めて、

 

だから「この学びが必要」「この行動が必要」

 

って定めていったほうが、

 

自分の行動にひとつひとつ意味を付けることができ、

その行動自体に誇りを持つことができるんじゃないかな、って。

 

そしてそれが自分自身の納得した生き方に繋がる。

 

これこそ、山口県萩市でみた

明治維新の革命児を育てた

松下村塾での吉田松陰の教育だと思う。

 

 

「どう生きたいか」「人としてどうありたいか」

を常に問いて、それを大事にした吉田松陰の教育を、

 

自分自身でも実践してみようと思う。

 

それが高い「志」と「目標」

そして「行動力」に繋がる。

 

 

情報は「情報」として入れていく。

けれども、それをどう「処理」するかは、

自分自身なんだ。

分析はする。

 

こうやって

自分自身と葛藤しながら

自分自身の生き方を見つけていけたらいいな。

 

行動力より大切なもの。

それは、自分自身の想いを持つこと。

それができたらきっと

「行動しよう」と認識する前に

「行動」として表れるのかなって思う。

 

 

まだまだひよっこだなああああああ。

 

何年後かにこのブログを読み返したとき

「こんな時期があったなあ。がんばってたなあ。」

と思わず、

くすっと笑って胸が温かくなるくらいになれたらいいなあ。笑

 

さあ、がんばってみよう。

 

おはる

 

萩を振り返る。

 

山口・萩での研修を終えて、

東京に帰ってきた。

 

萩の城下町や武家屋敷の土壁から見える夏みかんの風景は

まるで明治、江戸時代にタイムスリップした感覚だった。

 

けれども、そこには日常の生活もあって

歴史と現代がうまく調和している。

 

京都とはまた違う情緒を感じるまち。

 

萩の住民と観光客のバランスが絶妙な感じがした。

 

東京に帰り、萩を振り返ると、

城下町と夏みかんとそして、

小学生が元気にあいさつしてくれた姿が浮かんでくる。

 

いいまちだったなあ、

とじんわり味わえるこの感覚がとても心地よい。

 

 

さて、今回の山口研修。

 

コンテンツが盛りだくさんで、体力的にも大変だったけれど、

とってもよい時間をすごせたと思う。

密度の濃い充実した日々だった。

 

密度の濃い充実した日々をすごしたことは

「事実」であるけれど、

それを「事実」としてだけあるのではなく、

なにか事実から自分のものにしたい。

 

だからこそ、今回も振り返りの時間をとりたい。

 

研修中で特に意識していたことは、

「自分と向き合う」こと。

 

周りの参加者は、高学歴の方ばかり。

そして、討論も何度もやってきているような方々。

東大生や慶応生に囲まれて、

自分は同じ土俵には立てないんだろうな、と思っていた。

 

だからこそ、その「すごい人」たちの中でも

圧倒されずに自分を見失わないようにすること。

 

それを意識していた。

 

これまでの自分は、そんな「すごい人」に出会うと

単純に自分と比べてできない自分に落ちこみ、

結果、自分を追い詰めていた。

 

そうやって、「すごい人」に出会って、

向上心をもつことも大切だけれども、

 

それが、できないことばかりに視点がいくことにつながり

今自分が持っている強み、だったり、

自分らしさを認めてあげられなくなったりもしていた。

 

それをわかっていたからこそ、

今回は「自分と向き合う」ことをとにかく意識した。

 

そのために、わたしはその「すごい人」たちの中で、

私は「なにを感じているか」「なにを考えたか」を

大切にするように意識した。

 

けれども、慣れない討論の中では、

討論の話を理解し、ついていくことでいっぱいいっぱい。

 

「自分と向き合う」より前に、

まずは「理解すること」で精一杯だった。

 

理解するために意識したことは、

確認作業を怠らないよにすること。

 

「こういうことであっていますか?」

 

言い換えができなくても、

同じことを繰り返して言葉にしてみる。

 

そうするとなにかしらの言葉が返ってくる。

その言葉を深堀することができる。

 

たとえ、意見を出すことはできなくても

討論に「参加」できている状態になる。

 

そうやって討論に「参加」できることで、

討論の内容がわかるようになる。

 

そうすることで、

それに対して「自分はどう思うか?」

と問いかけることができる。

 

これは、その場でできたら一番よいが、

討論が終わったあとに

自分に問いかけることができるのがよい点だと思う。

 

 

今回、討論への参加の仕方や心構えを学ぶことができたことは、

大きな収穫だったと思う。

 

討論は、自分の見落としがちな視点に気づかされる。

そしてなによりも

自分の思いや、なにを大切にしているかがだんだんと見えてくる。

それが面白い。

 

討論を通して、自分の考えが洗練されていく感覚。

 

今回、討論をしてみて感じたことは、

日ごろから自分の考えを自分自身が理解しておくことの大切さ。

 

討論を終えてから、

「そういえばわたしこんなこと考えていたな」とか

「こんな経験していたな」とか、

発言できそうなことがあったことに気がつく。

 

それは、討論を「理解」しようと努力して、

それをあとから「自分に向き合う」ことによって

気づけたことだと思うから、

そのこと自体はいいことだと思うけれど、

 

でも、やっぱり討論で意見を言えたら、

それに対しての意見ももらうことができる。

そうすると、自分はその意見に対してどう思うか、と

再び自分と向き合うことができる。

 

その次のステップが見えてくる。

自分の意見が洗練される。

 

日ごろから自分の考えていることを

理解することが大切だと実感した。

 

これこそ「自分と向き合う」ことなんだな、って。

 

書くのは簡単だけど、

実際にやろうとすると難しい。

 

自分を一番わかっているのは自分のはずなのに、

意外とわかっていないこともわかってきた。

 

自分と向き合うって、難しい。

 

けれども、ひとつ言えることは、

今回「自分と向き合う」ことを意識していたおかげか、

すごい人たちに圧倒され、そして、落ち込むことはなかった。

冷静に自分を分析できのかな、と思う。

 

これってすごいことかもしれない。

少しだけかもしれないけれど、進歩したのかな。

 

「自分と向き合う」

 

自分が難しいと感じてることに

向き合おうとしている自分にエールを送ろう。

 

最後まで読んでくださった方、

ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぶらり旅・萩②

ゲストハウス内での会話から。

 

昨日の夜と朝の限られた時間だったけれど、

ゲストハウスならではの交流を楽しみむことができました。

 

お話ししたのは、

フランス人の同い年のガールとボーイ。

福岡の大学に通っているらしく、

英語と日本語を学んでいるそうです。

 

日本語での会話もできて、びっくり!

英語はネイティブレベルで、

同い年なのにこんなに語学に堪能で

すごいな、と感心してしまいました。

島国に甘んじてはいけないなあ、と思いました。

 

でも英語でも話したら、「英語上手だよ!」

と褒めてくれたので、このまま頑張ろうと思います。

 

こんな仕組みがあったのか!新たな発見が。 

 

会話の中で、交通費が高いと言っていました。

 

ですが、ここで

JRの7日間乗り放題の切符を見せてくれたんです。

交通費高いけれど、これを使うと

比較的お得に行けるんだ、と。

 

初めてみたもので、こんなものがあるのか、

くらいの印象で会話は終わってしまったのですが、

 

あとから調べてみると、

それは日本は訪日外国人向けに行っている

お得なサービスであることを知りました。

 

これは、訪日外国人向けのサービスなので、

日本人が利用できないのが残念ですが、、、

JAPAN RAIL PASS | ジャパン・レール・パス

 

なので、こんな問題もあるみたいです。

現状の鉄道周遊券は、訪日観光客に甘すぎる | 観光ビジネスのリアル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

しかし、朗報も。

 

東日本&北海道でも同じような取り組みを

今年から開始していたことが発覚。

これは日本人も使えます!!!

travel.watch.impress.co.jp

 

とっても魅力的。

これを使って東北と北海道に行ってみたいな、と思いました。

 

気仙沼にも行ける!

ですが、7日間はわたしにとってはちょっと短くも感じます、、、

(わがままですが)

 

ちょっとした会話の中から、

新たな発見があり、うれしくなりました。

 

振り返る癖を付けることで、

気づきも多くなるので、続けていこうと思います。

 

次も私にとってはなかなか興味深い話。

 

日本人が気づかない魅力に気づく、外国人?

 

日本に1年8カ月住んでいるアメリカ人の女性とお話ししました。

 

日本の食事はなんでも好きと言っていました。

そして、住んでいる地は、広島。

 

広島の中でも、

スーパーカントリーサイド」

に住んでいると言っていました。

(超田舎)

 

 田舎が好きだそうで。

自然も豊かだし、食べ物もおいしいし。

 

そして、都会のようにお金もかからない、と。

 

外国人の方に、日本の田舎が好き、と言われて、

なんだかとっても嬉しくなってしまいました。

 

そういった日本人が気づかない魅力に、

日本以外の国の方がその魅力に気づいてくれる

そして、住んでいる、というのは、

本当に嬉しいことだと思います。

 

そういった方々を

日本は大切にしていけたらいいな、と思いました。

 

東京は怖い?

話が少し派生しますが、

田舎の話と関連させて。

 

先ほどの留学生も話していたことですが、

「東京はなんだか怖い」と。

 

人も多いし、忙しいイメージがあるからかな。

言語の壁をより感じてしまうそうです。

(もちろん、九州から遠いという理由もあると言っていましたが) 

 

東京は、英語対応など頑張っているけれども、

それでも壁を感じてしまうのは、

やはり「人」なのかな、と思いました。

(これは完全におはるの推測です)

 

実際に、東京に行ったことのない人の話なので、

イメージ上での話になりますが、

 

東京に対して怖いイメージを持ってしまうのは、

余裕のない人を想像してしまうからなのかな、

と私なりには考えます。

 

それよりかは、田舎のようなのんびりした地域のほうが、

たとえ英語表記や英語対応が不十分であったとしても、

 

その「伝わらない間」のコミュニケーションを

楽しむことができるのかな、と思いました。

 

たとえ、完璧な英語表記や英語対応でなくても

それすらを日本での醍醐味にしてしまう力が、

もしかしたら地方にはあるのかも、と感じました。

 

そんな朝の会話から、

地方の可能性についても考えてしまうおはるでした。

 

次は、今日訪ねた浜崎についても書きたいです。