おはるの日記

自分と向き合うためのブログです。

今年の目標は、アビヤーサとヴァイラーギャ。

 

2018年が始まった。

 

振り返ると、2017年は自分自身に挑戦した一年だったかな。

「自分」という原点に立ち返り、

「わたし」を原動力にして行動することを大切にしてきた。

 

2018年は、土台をしっかり固めたい。

 

そこでヨガ哲学で学んだ「アビヤーサ」と「ヴァイラーギャ」という言葉が頭に浮かんできた。

 

この2つの言葉が2018年の目標。

 

「アビヤーサ」には、「修習、修練」という意味がある。

繰り返しの練習、努力し続けること、と訳されることもある。

 

そして、「ヴァイラーギャ」には、「離欲」という意味がある。

欲を手放すこと。

 

私は、この2つの言葉には2つの捉え方があると思っていて、

それを日常で取り入れていきたいと思っている。

 

まず大前提に、

それはアビヤーサとヴァイラーギャは

セットで意識して行うことが大切だということ。

 

それを踏まえて二つの捉え方を見ていきたい。

 

まず、一つ目の捉え方は、

アビヤーサはヴァイラーギャが前提で行うものであるということ。

 

努力することって、とても地道なこと。

そして、努力したからってすぐに結果が返ってくるか、というとそうではない。

結果が欲しいという欲を手放し、

今できることを、やるべきことに集中すること。

 

努力を続ければ続けるほど「結果がほしい」という

「欲」が出てきてしまいがちだと思う。

 

アビヤーサの「修習」をヴァイラーギャの「離欲」を前提で行うことは、

「結果にこだわらず、努力していることに目を向けること」

につながるのかな、と思う。

 

もう一つは、アビヤーサが自然とヴァイラーギャになるということ。

 

努力を続けることは、努力する対象に集中している状態と言える。

集中しているから、他のことに気が散ったり、誘惑されたりしない。

 

やるべきことを見極められているから、

自分にとって不必要な欲を手放すことができる。

見極められていないと、いろんな欲に悩んで苦しんでしまうんだと思う。

 

アビヤーサすることによって、ヴァイラーギャをすること。

これが二つ目の捉え方だと思う。

 

まとめると、

ヴァイラーギャを前提にアビヤーサをする。

そして、アビヤーサをしてヴァイラーギャをする。

 

これができるようになりたい2018年。

がんばるぞ。

 

おはる

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2017年、ヨガとわたし。

 

2017年は「自分のやりたいことを極めること」を目標にした。

 

そして、ヨガの資格を取ると決め、学び始めた。

 

 この一年で「自分」をいろんな角度から見られるようになったな。

 

 

心の働き。

身体の働き。

 

そして、それを扱う「私」

 

自分が心と身体についての認識を深めておくことの大切さを学んだ。

なぜなら、認識が浅いと、正しいケアができないから。

 

ヨガでは、認識が浅く正しいケアができないことが、苦悩や悩みの原因と言っている。

 

 

心の働きを知って、自分が心を見る存在になれれば、感情に振り回されることはなくなり、心が穏やかに保つことができるはず。

 

自分の身体を知って、自分が身体を見る存在になれれば、適切なケアができ、健康を保つことができるはず。

  

安定した自分でいるために、心と身体への認識を深めたい、そう思った一年だった。

 

2018年は、さらにヨガの学びを深めていきたい。

そして、自分の心と身体を使って実践していきたい。

 

そして学びを深めつつ、

新たなチャレンジとして「教える」ということも始めていきたいな。

自分が体感しているものを、シェアできるようになれたら、幸せだから。

その第一歩を踏み出したい。

 

さっそく年明けからヨガのクラスを開催する予定。

どきどきだけど、やってみて学ぶことのほうが多いと思うからジャストトライ!

 

もし、私のヨガを受けてみたいという方がいたら連絡ください^^

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心を磨く道


“わたしたちの「心」「身体」「言葉」はわたしたちに与えられた「道具」なんですよ”

これは、ヨガ哲学の授業で先生がおしゃっていた印象に残っている言葉。

ヨガでは、「自分」とは「心そのもの」でも、「身体そのもの」でもないと言われている。
「自分」とは、心を動かし、身体を動かしている「意識の源」と考えられているから。

そのため、心も身体も、言葉も、全部自分が持っている「持ち物」と考えられている。
自分に与えられた「プレゼント」と受け取っても良いのかな、とも思う。

この持ち物をどう使うかは「自分の意志」次第である。

さらにいうと、これらを通してわたしたちはこの社会と関わっている。

だから、社会と上手にかかわっていくためにも、自分の心・身体・言葉を健全に保つことが大切になる。

ヨガは、さまざまな種類があるけれど、全てに共通しているのが「心が磨かれていくようにデザインされている」という点。

だから、ヨガは心を磨いていく道になる。
心を豊かに成長させていくこと。

心は放っておくと常に動き回り、変わり続ける。
だからこそ、わたしたちは自由奔放な心の動きに振り回されないようにケアをしていく必要がある。

心を自由にさせておくと、それが悩みや苦しみの原因になってしまうと言われているから。

心に振り回されない強い心を育んでいくこと。
それがヨガの道。

自分の心をケアしていくことは、とても大切なことだって、自分自身を見ているとよーくわかる。

心をうまくケアできないときは、心に振り回されて、悩んだり、落ち込んだりする。
本当になにもかもが嫌になる。

そんなとき、心さえその気になれば、ってすごく思ってしまう。

「心は自分の意志と努力で成長させるしかない」とある本に書いてあった。

自分自身が心を握っておかなきゃいけないんだ。
そして、自分で心を成長させていかなきゃいけないんだ。

心の性質を知り、自分の心と向き合うことができるヨガに出会えてよかったなって改めて思う。

心を磨く道、ヨガ。
強い心を育むこと。

まだまだ始まったばかり。
しっかり学んで、実践して、自分と向き合っていく、ということを続けていきたい。

そして、強い心を育んでいく。

おはる


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大切な言葉。

 

よく耳にする言葉。

 

「感謝する心」

 

この言葉の大切さを実感した。

そして、心に留めておきたいから、言葉にすることにした。

 

なぜ、感謝することが大切なのか。

 

それは、人間は一人で生きてきていないから。

どんな人でも、自分以外の力を借りて、生きている。

 

当たり前のことなんだけど、うまく行かないことがあったり、落ち込んでいたりすると、忘れてしまう。

 

そして、あたかもこの世界がわたしを不幸にしているかのように感じ始める。

 

普段は、わたしたちは普段自分以外の人や自然から恩恵を受けて生きているのに、自分の思うようにいかないときになると、それらが私を不幸にさせているかのように思い始める。

 

なんて自分勝手だろう。反省した。

 

わたしは自分へのこだわりが強くて、頑固なところがある。

やりたいことがあって、それに向けて突き進みたい。

 

だからこそ、壁にぶつかったときに、苦しくなる。

そして、「人生終わった」と思うくらい悲しくなって落ち込む。

なんて惨めなんだ、可愛そうなんだって、思うようにいかない原因を自分以外に向ける。

 

自分を守ろうと必死だから、心を閉ざし始める。

自分の感情に合うように、目の前に起こっていることに意味づけする。

 

自分という狭い世界で生き始めるから、「感謝」という言葉も出てこなくなる。

 

なんて弱いんだろう。

冷静になったとき、自分の弱さに気付いた。

 

では、そんな自分の弱さを克服するのはどうしたらいいのか。

 

それが、「感謝の心」を持つこと。

どんなに辛いことがあっても、嫌なことがあっても、感謝の心を忘れないこと。

 

人は、調和の中で生きているから。

 

だから、「人間」と書くんだなあ、とふと思った。

「人」の「間」の中で生きるから。

 

調べてみたら、「人間」はもともと「世の中」という意味であることがわかった。

「人」が、「社会」を作り、社会そのものを「人」として指すようになったから、「人間」だと言う。

 

やはり人は「調和」の中でしか生きていけない。

だから、「人間」なんだ。

 

人間として生きていく上で、「感謝の心」は本当に大切だと思った。

 

私がいっぱいいっぱいになってしまっていたときに、ある人が、教えてくれた。

「感謝の心」を持つことの大切さを。

 

そこから、感謝について考え始めた。

考え始めたら、いかに感謝が大切かわかった。

 

だから、大切なことを教えてくれたその人に本当に感謝している。

ありがとう。

 

自分の弱さを知り、心の癖を知った。

強くなりたい、そう思った。

 

だからこそ、いい時だけでなく、自分にとって苦しい時、辛い時も、感謝の心を持つことを忘れないようにする。

 

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わたしらしくありたい、の罠。

 

「わたしらしくありたい」

「わたしらしい人生を送りたい」

 

当たり前のように、なんの疑いもせず、

 

「わたしらしく」

 

生きることが大切だと思っていた。

 

だから、「わたしらしくありたい」とずっと思っていた。

 

 

けれども、そう思えば思うほど、

「わたし」がよくわからなくなった。

 

なにが「わたしらしく」て「わたしらしい生き方」なのか。

 

そんなとき、

「やりたいようにやってごらん」と言われた。

そのときわたしは、勇気づけられた。ほっとした。

 

そして、この言葉をきっかけに、

わたしはわたしの思う「わたし」に縛られていたんだな、と考えるようになった。

 

 

わたしが思っている「わたしらしさ」は、

これまでのさまざま知識や経験からつくられる「エゴ」からできていて、

 

過去の自分の経験と、そこから作られる自分の理想から

「わたしはこうするべきだ」「わたしはああなるべきだ」

とわたしの「わたしらしさ」を決めつけてしまっていると思ったから。

 

 

「わたしらしくありたい」と思えば思うほど、わたしがわからなくなるのは、

わたしの中で「わたし」と「わたしらしさ」が衝突しているから。

 

 

そもそも「わたしらしくありたい」という考え方はいらないんだ。 

 

そう思うようになった。

 

「ありたい」って思う時点で、今の自分を否定することになるし、

「わたし」で生きれば「わたしらしさ」は自然と自分から滲み出てくると思ったから。

 

 

「どんなわたしでもわたしである」 

「わたし」で生きる覚悟を持つこと。

 

 

「わたしらしさ」を考えはじめると、わたしが自分のエゴから「わたし」というものを判断する。

それを演じようとする。

それが自分なんだって納得しようとする。

だから、わからなくなる。苦しくなる。

 

「わたしらしい」かどうかなんて考えなくていい。

「わたしらしさ」を追い求めている限り、「わたしらしさ」は見つからないから。

 

大切なのは、「わたし」で生きることに集中すること。

 

「やりたいようにやってごらん」

 

この言葉に勇気づけられたのと同時に、

「わたしがわたしで生きる覚悟」が必要なんだと気付かされた。

 

 

自分はまだまだ弱い人間で、自分のエゴに苦しめられるときもあると思うけれど、

「自分」を見失わずに生きていきたいなって思った。

 

 

 

 そして、行き詰まった時は問いかけてあげたい。

 

「わたしはわたしを決めつけていない?」

「わたしがやりたいことやっている?」

って。

 

「こんなわたしわたしじゃない!」ってなりそうな自分がこわくて、

自分を守るための防衛反応でこんな考えにたどり着いた。 

 

これもきっと自分へのアヒムサ(非暴力)なんだろうなあ。

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おはる

許す勇気、見守る勇気。 〜ヨガの八支則 アヒムサ〜

 

頭の中で複雑に巡っていたものが

シンプルに見えてくるときがある。

 

そんなとき、気持ちがふーっと楽になる。

自分が自分に優しくなって、

身体の緊張がほぐれて、リラックスして

自分が自分でいることに落ち着く。

 

 

最近ずっとヨガの八支則のうちの一つ、

アヒムサ(非暴力)について考えていた。

 

でも、難しくてなかなか自分の中で答えが見つからなくて、

でも、理解したくて自分の中での答えを見つけたくて。

 

そんな自分にもやもやしていて、

知らず知らず答えを見つけられない自分を責めてしまっていたみたい。

 

ヨガの知識を学ぶことは、とても新鮮で楽しくて、

だから、もっともっと学びたい!知りたい!って思う。

 

この好奇心はとても大事。

でも、学べば学ぶほど、知れば知るほど、

完璧に理解して、自分の中に落とし込みたくなる。

 

知識は持っているだけでは役に立たないし、

自分の中に落とし込んで理解するからこそ、

自分も人に伝えられるようになれると思うから。

本物の知識となって、自分の財産になると思うから。

 

だから、しっかり理解していたかった。 

 

そして、私はヨガを伝えられる人になりたい。

だから、「完璧に理解した自分」にならないとって

プレッシャーをかけていたみたい。

完璧に理解したい。完璧な自分になりたい。

 

この意識はとても大切だし必要だと思うけれど、

私は、なんだか答えを急ぎすぎていた。

 

 

それなのに、見つからないから「なんで見つけられないんだろう」って

無意識に自分を少し追い込んでいた。

 

 

そんなときに、ヨガの哲学の先生に、

「アヒムサについて考えているんですけど、難しいんですよね」

って話しかけてみた。

 

そうしたら、先生は

「考えているだけで、一歩成長なんだよ。」

って言ってくださった。

 

そのときは「考えることはいいことなんだ、じゃあこのままがんばろう」

ってそのあともひたすらアヒムサについて考えていた。

 

でも、なかなかたどり着かなくて、自分の中でもやもやが大きくなって、

少しイライラしていた。

そんなときに今の言葉を思い出した。

 

はっ!となった。

 

「考えること」「理解しようと努力すること」

その姿勢、行動そのものが大切で、結果はそれに伴ってついてくるもの。

結果を求めるのではなくて、今の自分を見てあげること。

それが大切なんだ、ってことに気付いた。

 

いつの間にか、忘れていた。

結果ではなくて、過程を大切にすること。

努力している自分を見てあげること。

 

 

急がず、焦らず、考えることを楽しむ。過程を味わう。

 

完璧な答えにたどり着けなくても、そんな自分を許してあげること。

答えを見つけようと努力している自分を、優しく見守ってあげること。

 

自分は自分の最大の味方、理解者でありたい。

そう思った。

 

自分とは一生付き合っていく存在だから。

 

許す勇気を持つこと。優しく見守ってあげる勇気を持つこと。

 

「許すこと」って大事だよ、って言われたことがあって、

そのときはぴんと来なかったけど、今になってやっとわかった気がする。

 

「こうあるべきだ」という自分の理想から離れていても、

そんな自分を許してあげて、今の自分を見てあげること。

 

過去に言われたいろんな言葉が繋がって、なんだかとっても気持ちが楽になった。

今までの緊張がふっと抜けて、私が私であることになんだか心地よさを感じた。

 

心がふわっと優しくなった。

あ、これがきっと自分へのアヒムサの状態なのかなって思った。

 

アヒムサで自分へのアヒムサを教えられるとは。

ありがとう、アヒムサ。

 

自分の心が穏やで、優しく見守ってあげられる状態。

自分が自分でいることに心地よさを感じられるとき、

きっとそれが自分へのアヒムサになる。 

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おはる

 

 

 

 

 

 

 

 

過去と未来に向き合うこと? ~ヨガの八支則「アヒムサ」~

 

暴力か、暴力でないか、

その見極めが難しいと前回のブログで書いていた。

 

 

それから、ひとつ自分の中でひとつ軸が見えた。

だから、アヒムサの見極めかたについて自分なりに考えたことを書いてみようと思う。

 

アヒムサか、そうでないかは

「明るい未来が見えるかどうか」

ではないかな、というのが私の今の見解。

 

この食べ物を食べて、未来の自分は喜ぶことになるかな。

この練習をして、未来の自分は喜ぶかな。

 

この言葉をかけて、未来の自分は今の自分に感謝できるかな。

 

 

 

「今」の積み重ねで「未来」が作られる。

「未来」のために「今」がある。

 

この時間軸を意識して考えると、

自分の取るべき判断、行動が見えてくるのかなって。

 

これをわかりやすく表現しているのが、

「我慢」と「忍耐」という言葉かな、と思った。

 

調べてみると、なかなか興味深かった。

 

渡辺奈都子さんの「人間関係をしなやかにする たったひとつのルール」

という本に書かれている我慢と忍耐の表現が自分の中で一番しっくりきたかな。

 

そこでは、

 

我慢は、「我、怠る」という意味になり、自分の願いを怠る行動であり、

忍耐は、「耐えをみとめる」という意味で、自分の目標へと近づけるものである、

 

と言っていた。

 

なるほどな。

身体の痛み、心の痛みを感じたとき、

この痛みはなぜ感じているのか、

この痛みを乗り越えてなにか得られるものはあるのか、

ということを自問自答することが大切なのかなと思った。

 

そうすることで、これは自分への暴力なのか、それとも愛のムチになるのか。

 

その見極めができるなって思った。

  

未来の自分を想像して、それがハッピーな自分だったら、

きっとそれは今、自分に課された乗り越えるべき壁なんだと思う。

 

もし、未来が想像できなかったら、過去の自分を思い出して、

今、自分がハッピーだと感じていること、アンハッピーだと感じていることを

見てみるといいのかも。

そのときの自分の判断と行動が今の感情にどう影響しているのか、

それを見てあげたら、自分の中で暴力であるもの、愛のムチであるもの、

の判断軸ができるのかな、って思った。

 

迷ったら、自分に問いかけてみよう。 

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おはる