hrnaua-2017の日記

自分と向き合うためのブログです。

命を救う医療と、自己治癒力を導く医療

 

最近見つけた興味深いトピック。

 

それは、「西洋医学と東洋医学の違い」です。

 

最近、胃の不調で体調が崩すことが多く、

私って胃が弱いのかな~と調べていたときに、

西洋医学と東洋医学の治療の違いの記事を

見つけました。

 

 

西洋医学では、治療の際「病の症状」に着目して治療をするそうです。

 

胃腸で例えると、

胃の粘膜は正常か、とか、胃で消化はされているか、等を見ます。

なので、治療も胃の粘膜を正常に戻す薬や、消化を助ける薬など

原因を取り除く薬が処方されます。

 

一方で、東洋医学は、治療の際「身体の状態」に着目して治療をするそうです。

 

同じく、胃腸で例えると、

内臓の働きはどうなっているのか、と見ていくそうです。

痛みのある胃だけでなく、すべての内臓を調べるそうです。

そして、根本の原因を探していきます。

 

治療では、内臓の働きを正常に戻していく方法をとるそうです。

 

内臓の働きが正常に戻ると、身体の働きも整っていき、

治癒力が引き出されるからだそうです。

 

そのため、

西洋医学は、「命を救う医療」

東洋医学は、「自己治癒力を導く医療」

と言われているそうです。

 

同じ医学でもアプローチの仕方がこんなにも違うことに

とっても驚きました。

 

なぜなら、私は今まで「医療」=「西洋医学」

の視点しかもっていなかったからです。

 

そのため、この考えを知ったとき

この二つの視点を取り入れることで、

健康に過ごせる人が今よりも増えるのではないか、

と思いました。

 

私がこれから学ぶヨガの中の一つに「アーユルヴェーダ」があります。

 

アーユルヴェーダ東洋医学の三大伝統医学の中の一つで、

「生命の科学」と言われています。

 

調べてみると、アーユルヴェーダ

病気そのものを見るのではなく、

個人にあった方法で自然治癒力を高めていき

心と身体のバランスを整えていく医学だということがわかりました。

 

生活全体に働きかけ、健康や長寿を追求していくのです。

 

なんだか、面白くなりそうです。

 

なぜなら、今まで視点としてもっていなかった

東洋医学」の考え方を学んでいけるからです。 

 

病気を治すための医療と、

健康を追求するための医療。

 

 

この二つを、

生活の中で使い分けて取り入れられたら

もっと素敵な世の中になるのではないか、と思いました。

 

命にかかわることだったら、

症状を取り除くことが最優先。

だから、西洋医学を選択する。

 

一方、風邪や熱などは、

身体の不調からくることが多い。

だから、症状を取り除くのではなく、

根本の原因を見つけることで、

今後の生活にも生かせる治療をしたい。

だから、東洋医学を選択する。

 

こんな風に症状やその度合いに応じて、

選択していけたらいいな、と思いました。

 

これから、高齢化を最先端を走る日本に

健康寿命」が重要になってくると思っています。

 

今や、社会保障費の増大によって財源不足に陥っており、

安定的な財源確保が求められています。

 

それを救う一つに東洋医学があるのかもしれない、

と思いました。

 

アーユルヴェーダ

 

・病気にならないようにする

・健康な人をさらに健康にする

・病気を治す

 

働きかけをします。

 

生活全体にアプローチすることで、

普段から健康に気を使う人が増え、

心も身体も健康な人が増えるのではないでしょうか。

 

健康な人へインセンティブを与える、

というような提案が国でもされていますが、

その考え方ももしかしたら

西洋医学だけでなく、

自己治癒力や健康を導く東洋医学の視点も

取り入れていきたい、というメッセージとも

読みとれるのではないかと思いました。

 

多方面での「医療」が

浸透していくといいな、と思います。

 

これから、ヨガはもちろん、

アーユルヴェーダの勉強を進めていく中で、

考えを深めていきたいです。

 

なにか見えてきたらいいな。

 

 画像:https://ayurveda.jp/

やっと、おかゆが食べられた!

 

今日の朝、

やーーーっとお米を食べることができた。

とはいっても、おかゆだけど。

 

前日に薬をもらって飲んでから、

調子がよかったから、

明日の朝はおかゆだ!!!

と決めていた。

 

ほぼ水分(スポドリor OS-1)と

たまーにりんごとプリン生活だったから、

しょうゆ味が恋しくて恋しくて。

恋しくてたまらなかった。

 

昨日の夜は、明日やっと食べられる!と

次の日遠足があるのか、というくらい

自分でもびっくりするほどわくわくしていた。

 

クックパッドでおかゆの作り方を調べ、

頭でシュミレーションしながら床に就いた。

 

今月の3日の夜から38度台の熱を出し、

39度まで上がり続けた。

それと同時にこれまでにない頭痛と腹痛があったため

病院に行くと、急性胃腸炎と診断された。

 

記憶上だと中学生以来の高熱。

初の胃腸炎

 

 

急性胃腸炎って、

ほぼ絶食生活なのです。。

 

インフルエンザになっても、

食欲は落ちない子だったので

こんなに食べられないのは人生で初。。

辛い道のりが待っていた、、、

 

水分だけはしっかりとって、

あとはひたすら安静にして寝る。

特効薬はない、、、

 

というわけで、ほぼ絶食生活を

三日ほど続けていた。

その中でもかろうじて食べられたのは、

すりおろしのりんごとプリン。

 

だからからか、

無性にお米と醤油味が恋しくなり、

我慢できなくなっていた。

 

薬をもらってだいぶお腹の調子が良くなっていたから、

明日は絶対おかゆにするぞ!と気合を入れていた。

 

今日の朝は、昨日のシュミレーション通り、

おかゆをつくって食べた。

 

なんておいしいんだ。。。

口にいれた瞬間、おいしさに感動した。

「おいしい」が体中に溢れた。

 

味付けはシンプルにつゆの素と卵。

この醤油ベースの味付け、

私がまさに求めていた味だった。

この味だよ、、、と思った。

 

食べることに若干恐怖心もあったから

ちびちび食べてたけど、無事完食。

幸せな食事の時間だった。。

 

こんなにもシンプルなおかゆだったけれど、

こんなにも幸せって感じるんだね。

普段よりもずっと質素な食事なのに。

こんなにも幸せだと感じたのは初めてだった。

 

約3日ほとんど食べられない期間を経験したからこそ、

 

食事ができることへのありがたみを本当に実感したんだと思う。

食べれるってすごいんだ!って。

 

心と身体の共同作業なんだなって。

普段意識しない心と身体、という二つの存在を実感した。

 

普段なら、自分の脳からの欲求で食べ物を食べても、

身体は、なにも言わずに消化してくれる。

 

だから、脳はその身体のがんばりに気づきにくい。

そのために、身体がどういう状態なのか、ってことを意識せずに

自分の脳からの欲求で食べてしまいがちだ。

 

口の中で感じる味、触感から得られる快感で

食事って選びがちかもしれないけれど、

(もちろん栄養とかカロリーも気にするとは思うけど)

 

こうやって身体が食べ物を拒絶するようになると、

自分が単に食べたいものではなく

「これだったら大丈夫かな」と、

自分の身体が受け入れてくれそうな食事を選ぶようになる。

 

味とか、カロリーとかそれだけではなくて、

身体に取り入れようとしている

「素材」だったり、その「性質」だったりを基準にして。

消化しやすいかな、とか。

 

こうして、食べられない期間を経験して、

食事への意識が、より一層高まったなあと思う。

 

腸炎が治って、今まで通り食事ができる状態になったとしても

これからも、身体が喜ぶ食事を心がけたいなって。

食べたあとの身体の状態を意識して食事をとったら

もっと食事が豊かなものになりそうだな。

 

まだ、完全に治ったわけではないので、はやく治せるようにがんばります。

でも、文章を書きたいと思えるくらいまで復活してきました^^

 

2017/8/8

おはる

※TOP画像は、卵好きな私が卵とツーショットを撮ろうと頑張って自撮りしているところを撮影されたものです。

日本人でいられること。

 

日本の自然、四季、文化、そして食べ物。

 

これを感じて味わって暮らしている日本人って

どれくらいいるんだろう。

 

日本には、この四つがそろっている。

世界では有数の珍しい国だという。

 

そのため、観光の面において

可能性に秘めている、といっていた。

 

 

ダイヤモンドの原石はあるのに、

磨いてないために見た目は石のまま、

というもったいない状態と同じ

といえるのかな。

 

これを聞いたとき、

なぜ、可能性があるまま

残ってしまっているんだろう、と思った。

 

でも、そして、それはきっと、

これらを感じ、味わっている

日本人が少ないからなんだろうな、と感じた。

  

 

磨きをかける人は、本来ならばそれを一番近くで

毎日味わい感じられる私たち日本人。

 

 

でも、気づかない。

だから、「可能性」「ポテンシャル」という

言葉を使って、希望を持って、

だから、「可能性」がそのまま残るのかな。

 

世界からいろんなものが集まるようになった

現代の日本に「日本本来のよさ」を感じる瞬間って

めったにないのかもしれない。

 

四季や文化、自然を伝える架け橋となるはずの「食べ物」の

日本の食料自給率は40%を切る。

 

日本を代表するお米の消費量は年々減少している。

お米を食べなくなるということは、

自然とそれと食べ合わせるものも

変わってくるということだ。

 

四季や文化、自然を伝える「日本の食べ物」

が日本人から離れていく。

 

いろんな国からいろんなものが入ってくるのは

「多様性」を受け入れるという意味で

いいことだと思う。

 

でも、同じ「多様性」を受け入れるにしても、

自分たちの国を知って受け入れるのと、

知らずに受け入れるのとでは

違うのではないかと思う。

 

自分に優しくなれるからこそ、

周りの人にも優しくなれる。

これと同じ原理なんじゃないかな。

 

自分たちの国を知り、受け入れるからこそ、

他の国の考え方やものを受け入れられる。

 

認識することで、

自分と自分以外をわけて考えることができる。

 

自分は自分としていられることに誇りや自信を持てるからこそ、

自分以外の人やものも受け入れられる広い心がもてるんじゃないかな。

 

 

そう考えたとき、

日本には日本を意識して生活している人が

どれくらいいるのかな、と思った。

自分も含めて。 

 

自分を認識しないからこそ、

自分以外も認識しにくくなるのかな。

 

だから、「無意識」のうちに

いろんなものに侵食されるのかな。

 

最近は、そんなことを考えている。

 

 

「日本には四季も自然も文化も食事もある。

だから、それを世界に発信しよう」

 

観光を考えるときに、よく耳にする言葉だ。

 

間違っていない。

でも、ちょっと待って、と思う。

 

世界に発信することも大事。

 

でも、その前に大事なことがあると思う。

 

それは、日本のよさに気付き、それを味わい、

そして、それを伝えたい、と強い思いを持つ

日本人を育てることなんじゃないかな、って。

 

そうすることで、観光の在り方も

変わってくるのではないか、と思うし、

その影響は観光の面だけで収まらないと思う。

 

 

私は、せっかく日本人に生まれたんだから、

日本人であることに自信や誇りを持って、

生きていきたいって思う。

 

そして、自分だけでなく、

そういう風に思う日本人が

増えていってほしいな、って思う。

 

なぜなら、世界的に見ても恵まれている国で、

海外から高い評価を受けているのにもかかわらず、

 

それに気づかず生活しているなんて

もったいないと思うし、

日本という国に失礼な気がするから。

 

 

日本人が日本人であることを自覚し、

日本人でいられることに感謝の気持ちと

誇りを持てるようになったら、

きっと「地方創生」もうまく行く気がするんだなあ。。

 

日本人でいられること。

日本人としての私。

 

なんだか、考えさせられる。

 

おはる

ヨガとあくび。

 

ヨガのレッスン中、

時々あくびが止まらなくなるときがある。

 

今日もそうだった。

 

早起きして、

軽くストレッチして、

少しずつ身体のスイッチが入ったところで

朝のヨガのクラスを受けた。

 

移動中も、朝の時間も

あくびがでることってほとんどないのに、

ヨガのクラスの中では自然とあくびがでてきて、

なんでだろう、、、と思っていた。

 

集中してやっているはずなのに。。。

 

自分集中できていないのかな。。

という考えが頭に浮かんできたので

 

そこで「ヨガ あくび」と調べてみた。

 

 

すると、興味深い記事が見つかった。

 

あくびは身体がリラックスしている証拠だという。

 

そして、デトックス効果もあるんだそう。

 

たしかに、ヨガのクラス中は

呼吸に意識を向けて、

身体を緩ませたり、伸ばしたりする。

 

身体全体に新鮮な空気が行き渡り、

身体全体が浄化される感覚を得る。

 

普段の呼吸の中では吐き出せない

奥底に眠る古い空気を身体の外へ逃がし、

新しい空気を取り入れ身体に巡らせる。

 

 

だからか。

あくびをすると、たくさんの空気を取り入れられる。

 

そして、たくさんの空気を吐き出せる。

 

身体の循環をよくするために

あくびがでているのか!と

自分の中に新たな発見を得られた。

 

あくびに対するイメージが変わった。

 

あくびがでるということは、

身体を緩めることができるという指標であり、

 

私がヨガをやっている理由の一つにある

「心が落ち着いてリラックスできるから」

に直結している現象そのものだったから

なんだかうれしかった。

 

心も身体も

リラックスできていることがわかって一安心。

 

そして、実はあくびってすごかったんだ!

 

あくびと上手に付き合っていきたいな、と

思った日曜日の夜でした。

おはる

 

 

 

 

 

 

 

頑張っている自分を見てあげること。

 

「頑張っている自分を見てあげよう。」

 

ずっと言われ続けている言葉。

 

意味もわかるし、

そうしたい気持ちもあった。

 

 けれども、

頑張っている自分を見てあげるって難しいな、

っていうのが率直な感想で。

 

言われて気づくことが多かった。

 

でも、最近はだんだんとその考え方が

染み付き始めている感覚がある。

 

それを顕著に感じるのが、

ヨガの時間。

 

ヨガの時間は、

自然と頑張っている自分をみて、

自分自身にいつもありがとうと

言える自分がいる。

 

ヨガは、「自分自身」を見つめる時間だ。

 

ポーズそのものが大事ではなくて、

 

ポーズに行くまでの過程や、

ポーズを取ることで感じる

心や身体の変化を観察する、

ということを大切にしている。

 

自分自身に向き合うからこそ、

日々の小さな出来事や思考、

身体の変化に気付くことができ、

 

自分頑張っているんだな、と

自然と思えるようになる。

 

また、頑張っていること、というと

なにか成し遂げたこと、とか

目標に向かって頑張っていること、ばかりに

目が行きがちになってまうかもしれないけれど

 

ヨガをやっていると、

 

日々の自分の思考についてきてくれる

身体の頑張りに感謝しよう、

という気持ちが出てくる。

 

例えば、

美味しく食べたごはんを頑張って消化してくれてありがとう、とか。

 

美味しく飲んだお酒を頑張って消化してくれてありがとう、とか。

 

逆に、今日は睡眠時間短くて無理させてしまってごめんね、

でも、起きて頑張って

動いてくれてありがとう、とか。

 

ヨガの時間に言っていた言葉で

印象に残っているものがある。

 

「ヨガのレッスンを受けると決めた自分の選択に尊敬の念を持ち、

今日のレッスンを頑張りぬいた自分の身体に感謝をして、

レッスンを終わります」

 

一言一句同じなわけではないけれど、

そんなことを言っていた。

 

なるほど、そういうことなのか。

 

頑張れているのは

自分の思考や意志(頭)だけのおかげではなく、

そこについてくる身体があるからなんだ。

 

それを改めて実感した。

 

頑張っている自分を見てあげること、って

大切なんだなと強く実感した。

 

頑張っている自分をみることを、

難しいと感じていた当時の私は、

自分の意志・思考(頭)での

頑張りばかりを見ていたから

頑張っている自分を見てあげることが

難しく感じてしまったのかな、

と思った。

 

自分の意志についてきてくれる身体にまで

意識を向けることで、

素直に自分自身に向かって

頑張ってくれてありがとう、と言えるなって。

 

そんな優しい気持ちになれる

ヨガってすごいな。

 

浸透してきたとはいえ、

日常の生活の中では、

頑張っている自分を忘れてしまうこともある。

指摘されて気づくこともまだ多い。

 

だから、

日常の中でも自分自身を見てあげられるように、

なりたいな、って。

 

頭と身体があって初めて、

自分という人間がいる。

 

当たり前だけど、

少し忘れがちなことに目を向けて

一日一日を歩んでいきたいな。

 

そして、自分自身を助けてあげられるようになりたい。

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おはる

 

 

 

 

地方創生をやりたい理由。

地方創生。
最近の話題のワードだ。

 

地方は弱くてこのままだと地方が衰退してしまうからなんとかしなくてはいけない。

「地方創生」という言葉からはそんなイメージを連想させるかもしれない。

 

けれども、私は違う。
文中に詳しく書くけれど、
地方創生は地方のためだけのものじゃない。

私たちのためのものでもある。

 

だから私は、
「地方創生」という言葉は好きじゃない。


はじめてこの言葉を目にした人は、
きっと地方のことだから、ていう理由で
自分ゴト化するのが難しくなるのではないかと思うから。

 

地方が困っているのはたしかだけど、困っているのは地方だけではない。
実は、東京も深刻な問題を抱えている。

 

東京の高齢化。
合計出生率が最も低い都心で、高齢化がこれまでにないスピードで進む。


今後は、地方からの人の流入も減っていく。
東京の人口減少も始まる。

世界主要都市危険度ランキングで1位の東京。
いつ首都直下型地震が来てもおかしくない街。

 

そんな状態でヒト・モノ・カネが集中する東京。

 

そしてなにより満員電車。
毎日毎日満員電車に揺られて
家と職場を行き来する人々。


私は週2だけど満員電車に乗るたびに、
人間が作り出したこの社会構造に恐怖を感じてる。
人間として扱われていない気がして悲しくなる。

 

ヨガをやっていることもあって、
「呼吸」は自分の中で大事な要素になっている。

呼吸に意識を向けて
ゆっくり吸ったり吐いたりすると
自分の鼓動が落ち着いてリラックスできる。

 

ストレスがあるときほど呼吸を大切にしよう。
そう思っているけど、満員電車は別。
空気が、ない。

自分がまっすぐ立っているので精一杯なくらい
人が密集している中に、自分の求めている空気がない。

 

ストレスを和らげようとはじめる「呼吸」に必要な
「空気」がなくて、またストレスを感じてしまう。

 

無の領域に入る。

 

なんでこんな思いをしなきゃいけないんだろう、と毎回悲しくなる自分に出会う。

 

そんな自分に対して、
「これはしょうがないこと。我慢するんだよ」
て言い続けたくない。

 

将来は、絶対に満員電車に乗らない生活を手に入れよう毎回誓う。

 

卒業後すぐに実現できるかわからないけれど、
なるべく自分が心地よいと感じる環境に
人生の大半を置きたいな。

 

そんな経験があるから、
地方創生を考えるとき、
地方がかわいそうという発想からこない。

 

地方の豊かさを
都心の心が疲れてしまっている人たちに

味わってもらって、
元気になってもらいたいなって思う。

 

東京の価値観が当たり前なわけではなくて。

このまま一極集中のシステムのままだと
日本人がおかしくなってしまうのではないか、

という漠然とした不安がある。

 

もしかしたら、自分が思っている以上に、
他の人々は割り切っているのかも知れないし、
大丈夫なのかもしれなけど。

 

そうは言っても、
あるイギリスの心理学者は
満員電車は戦場以上のストレスを
強いられていることを明らかにしている。

 

強いストレスを乗り越えている日本人は
本当にすごいなって思う。

 

だから、他の国からみたらこれは
「普通」のことではないってこと。

朝から心が疲れて悲しくなっている自分は、
自分じゃないと思う。
乗り越えることもできるかもしれないけど、
自分を苦しめるストレスからは逃げたいなって。

 

人間なんだから人間らしく生きたい。
もっと違う生き方があるんじゃないかって。

だから、今は修行の時期。

 

満員電車から降りた後、
外の空気を吸える喜びを味わう。

 

見方を変えると、満員電車があるからこそ、
「呼吸」と「空気」の大切さを

身に染みて感じるのかもしれない。

人とコンクリートが多い生活を送っているから、
まったりした自然が日常に存在する生活に

憧れるのかもしれない。
久々に土のにおいを嗅ぐと、

「生きててよかったー!」と思えるのも、
毎日がコンクリートの生活だからなのかもしれない。

 

だから、この生活がなかったら
地方の豊かさに気づかなかったかもしれない。

だから、気づかせてくれたこの環境には
感謝している。

 

地方創生に関心を持って、
実際に足を運んでいるうちに、
いわゆる「地方」に惹かれてしまって、
思いが強くなっていく自分に気づく。

 

だんだんと「地方のための」が、
「自分のための」と重なっていく感覚に陥る。

「自分のための」は自分1人じゃなくて、
「自分と同じような思いを持っている人たちのため」も入っている。

 

そうした都心の人たちのためにもやりたい。

 

地方創生から日本を創生して、
そして、日本人に活力を与えたい。

そんなことをしたいなって。


おはる心の声。

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理想の世界。

 

先日、夏に挑戦してみたいプログラムの一時選考があった。

そのときに課題と出されたのが、

 

「あなたの作りたい○○な世界」

 

だった。

 

 

会社に引き寄せて書くのでなく、

自分の理想を語れるエントリーシートを書く時間は

自分と向き合う有意義な時間になったと思う。

 

最初は難しかったけれど、

だんだん具体化していって

楽しくなっていくのがわかった。

 

「理想の」だったからファンタジーみたいな世界だけど、

それが私の「理想」だったから、思うがままに書いて提出した。

 

せっかく書くなら自分がわくわくするものがいいから。

 

 

私の作りたい理想の社会は、

「好奇心と感動であふれる社会」だ。

 

 厳密に表現すると、

好奇心に向き合える個人と、

育ててくれる周りの人、

その両方が存在する社会があって。

 

そして、 

その社会の中で感動があふれる社会を作りたい。

  

自分の好奇心に気づき、向き合い、

好奇心を太く強くしなやかに育てていける社会になったら、

 

 

「生き方」に迷う人がいなくなると思う。

そして、人生がより豊かに充実したものになるんじゃないかな、と思う。

 

自分の好奇心を大切にできる人は、

きっと自分以外の好奇心も大切にできると思う。

 

自分の軸さえあれば、

受け入れる心も自然と生まれてくるのかな、って。

 

 

好奇心は、「生きる」をより光り輝くものにさせて、

「幸せ」と感じて生きる人が増えるのではないかな、って思っている。

 

 社会もいろどり豊かなものになるのかなって思う。

 

だから、私は「好奇心」を大切にしたい。

 

 

そして次に「感動」

 

私は「好奇心」の先には「感動」があると思っている。

 

好奇心を追求していくと、

きっとどこかで壁にぶつかる。

 

でも、それは自分の好奇心に向き合ったからこそぶつかる壁で。

だからこそ、きっとがんばれる。

乗り越えられる。

 

乗り越えた先には、

「感動」が待っていると思う。

 

一生懸命自分の気持ちに向き合って

初めて出会う世界を味わった瞬間、

 

乗り越えた人だけが味わえる「感動」という

特別なプレゼントが与えられる。

 

その感動は、自分の中に生き続け、自分の原動力になる。

その感動は、行き詰ったときには、自分に勇気を与える。 

 

また、自分の好奇心と向き合い乗り越えている人は、

その人自身が「勇気」というプレゼントを

自分以外の人にも贈ることができるんじゃないかな、と思っている。

 

自分の好奇心を育てていくとき、

一人では絶対できない。

 

いろんな人に支えられて、

好奇心がカタチになっていく。

 

だからこそ、カタチになったときの喜びは

分かち合えるものになって、

大きくなるのかな、と思う。

 

 

私自身も好奇心を大切にして、

 向き合って、乗り越えて、

まだ味わったことのない「感動」というプレゼントを

自分自身から受け取れたらいいな、って。

 

そして、私自身の生き方が、

周りの人に「勇気」という名のプレゼントを

贈れる人になりたいなって。

 

 

そんな人生を歩みたい。

そして、そんな社会にしたい。

 

この内容の要約したものを提出して、

先日連絡が届いた。

二次に進めることになった。

 

まだ、合格は決まったわけではないけれど、

なんだかうれしかったからブログに書いてみた。

 

合格できたら一番だけど、

どんな結果であれ受け入れて生きていこう!

 

 

 過去の自分から勇気をもらう一枚。

 

 おはる